基本的に私は、「怒る=感情的」「叱る=理性的」なものであると思っているのだけれど、叱る時にも「感情2割 理性8割」くらいでやった方のが良いと思っています。
なぜなら、人間っていうのは感情的な生き物であるわけで、常に感情を排して理性的に接すると、子供にも、「ああこの人は今日機嫌が悪いんだな。」とか、「こういう時に人は怒るんだ。」とかって部分を伝えられないから。
そもそも、他人に説教する場面においては、「相手のより良い将来」とか、「もっと素敵なあなたになれるであろう像」とか、そういう期待が損なわれているっていう悲しみがあるのが普通だし、「仕事のミスのしわ寄せが全部こっちに来るじゃねえか。」なんていう、怒りがあるのも普通であり、そこに多少の感情を乗せるのは全然悪いことだとも思わないしね。
「感情だけ」になってしまうから、「何を1人でキレてんだ、こいつは。何を言ってんだかわかんねえし。」ってなってしまうわけで。
まあ、常に理性的に他人に接することが出来る人なんてのはまずいないだろうから、「出来るだけ理性的であろう。」って思っていれば御の字だと思うけれど。でも、たまにいるよね、暖かい慈悲を持った理性的な人って。
理性的で慈悲のある人になりたいもんだ。
「叱る」という行為は、色んなものを分離したほうが上手くいくと思います。
憎しみでもなく、怒りでもない。
感情をぶつけるだけなのが、「怒ること」で、それを理性的に伝えることが「叱ること」だと思いますので。
叱る立場の人間が、誰かに「ガ~~~!!!」っと何かを言いたくなった時、これは、「叱るべきこと」なのか、「怒りたいこと」なのかを見極めて、感情と理性を分けて見た方のが、物事は上手く回ると思います。
とはいっても、叱るより
叱られてばかりの私がいうのもアレですねw