今日、依存症の回復施設の管理者と話す機会がありました。

そんな中
確か「子供の愛し方がわからない親たち」っていう本を思い出していました。

以下はその本から

治療者はACに「今までやってきたことで無駄なことなど何もなかった」とはっきり伝えなければならない。
ドラッグ乱用も抑うつも摂食障害も、ACたちが生き延びるためには必要な経験だったのである。
そして、自分を「無能で、馬鹿で、意志薄弱で、性格が歪んでいる」と罵るACに対して、そのように考える理由を問い、思考(自己非難の思考)が根拠の無い歪んだ信念にすぎないことをはっきり告げるのである。』


ACってのは、アダルトチルドレンのことですね。定義が難しいものでもありますが、ものっっっっっっすごく大雑把に言いますと、「子供の頃の家庭・家族で何がしかの問題を生み、抱え、それを大人になっても引きずり続けている状態」って感じでしょうかね。

でね、この部分の文章を読んでね、1つの気づきがあったんです。

それはね、まず間違いなく、昔の私だったらその重要性に全く気付かずに読み飛ばしてしまったであろう部分の、その重要性に気づいたから。

この、数行の『』の中の文章で、最も重要なものってなんだと思います?

まあ、何が重要か?なんてのは、その人それぞれの感性や感覚の問題なので、ハッキリと定義づけられるものではないのですが、明確に毛色の違う箇所があるわけです。

で、昔の私なら、そんなところが重要であるなんてことは全く思わなかった。

わかる人もいれば、全くわからない人もいると思います。

それって、どの部分でしょう?



それが重要かどうかは置いておいて、他の部分と明確に性格が違うのが、


「そのように考える理由を問い、」


っていう部分です。

他のところはね、全部、「治療者側からの意見の提示」です。

それは、アドバイスの時もあれば、意見具申の時もあれば、「ちょっと思ったことを言ってみました」って時もあれば、説教の時もあれば、まあ、色々でしょうが、こちら側の意見を一方的に言う状態であることは間違いありませんね。

ただ、「なぜ、そう思うのかを問う」ってのは、全く違う種類の方法論です。

でね、聞いてみないとわからないんですよ。これが、また。

どれだけ正しいように思えるアドバイスであっても、万人には通用しません。

相手が何を考え、何を感じ、何に心を動かされ、何に痛みを感じているのか?なんてのは、聞いてみないと絶対にわかりません。

だから、聞くことです。
とにかく聞く。

聞かずに説教かましても、相手に嫌われるだけです。

それは、はまることもあるでしょうが、はまらないことだっていくらでもありますが、「相手の話を聞き、相手の思いを聞く」ってことには、はまらないことなんてありません。

はずれはない。
でも、それって重要視されませんね。


基本的にね、「アドバイス」や「説教」ってのは、それがどんなに正しいものであっても、「相手の現状を否定するもの」であることは覚えておいて損はないと思います。

アドバイスには、役に立つものも、誰かを救うものもあるでしょう。

でもね、良くも悪くも、「相手の今の信念や思考、方法論を否定した上で、違う世界観を提示する」ってことには違いないんです。

だから、単純に、自分を否定されて傷ついてイヤな気分になる人というのは一定数出てきます。

そういうことを踏まえた上でどうするか?

考えてみてくださいw