①例えば「100歳のおじいちゃん、おばあちゃんに、これまでの人生をインタビューしてみましょう♪」的な企画があったとしますね。
で、そこに出てくる、じいちゃん、ばあちゃんが、
「私は東大受験に失敗して行けなかったので、ずっと不幸だった。」
「俺は、親に愛されなかったからさ、妹ばかりかわいがられてね、だから今でも不幸だね。」
「私は、この1重がコンプレックスで嫌でねえ、今でもこんな顔に産んだ親を恨んでるよ。」
私は、非常に率直に言えば、「100歳にもなって、まだ、そんなこと言ってんのかよ!!!」ってことを思うでしょうね。
「戦争で息子を亡くした」とかね、「災害で家族を失った」ってことに苦しみ・悲しみを抱えていらっしゃるのであれば、それはね、ただ聞くことしか出来ません。
それは、何年経っても癒えることのない類の感傷であろうから。
100歳まで生きてね、自分の人生を振り返った時に、そんなことを自分の人生が不幸だった理由にするのって悲しすぎません?
悲しみや苦しみや切なさや、人生には自分を痛めつけるものがたくさんあったりするものですが、「被害者になる必要性がないのに、勝手に自分で被害者になっている」っていう種類の苦しみもあったりします。
思春期の子ならね、「自分の目が一重でイヤで親を恨む」ってことがあってもいいですよ。
でも、100歳まで恨んだらいけません。
だからね、そういう持ち続けても何一つ得をしない被害者意識による苦しみは、捨てるべきです。
②「平和」ってさ、最終的には自分の心の問題から始まり、自分の心の問題で終わります。
戦争がなかった78年の間だって、自分の心に平穏を持つことが出来なくて命を絶ってしまった人は数多いるし、今日この日のこの時間だって、日本では戦争こそ起きていないけれど、地獄の苦しみにとらわれている人は、数多くいることでしょう。
だからね、自分の心にストレスを与え、自尊心や自己愛を奪い、自己肯定感をむしり取るようなことをやってほしくないし、やるべきでもないと思っています。
自分の心を平和に保てない人が、もっと大きな平和を作り上げることが出来るとは思いません。
そして、社会的な平和があっても、たった1人の自分の心に平和がなければ、平和な世界なんてのは実現しない。
そう思います。