この投稿もね、生きている事の証明に私の涙をビンにつめているようなもんです。

私の涙でもね、それをビンにつめて宇宙のどこかに置いておくと、そのメッセージをほどいて読み、何かを感じてくれる人もいるわけで。



この旅は 気楽な帰り道

のたれ死んだ所が 

本当のふるさと





人生って、帰り道なんか。

沖縄のどこだったかに行った時にタクシーの運ちゃんに聞いた話を思い出しました。

沖縄の墓は結構でかくて、特殊な形をしているんですが、それが女性の子宮を表しているそうなんですね。子宮より出て、子宮に戻る、ってことだそうで。


つまり、「あの世」が故郷で、故郷からちょっとした冒険の旅に出ているわけで、長生きしようが、何歳で死のうが、死んだ瞬間に家にたどり着く、ってことですわな。

だからって、早く家に帰ろうとすることはないと思いますが、「まあ、人生なんて、何があっても大丈夫な気楽な帰り道ですよ。」ってことを思えれば、生きるのがちょっと楽になるじゃないですか。



私はきっと悲しみの真ん中あたりで泣いている

私はきっと喜びの真っただ中で笑うんだ




人間、悲しみの真ん中にいる時は涙が出ますし、喜びの真っただ中にいる時は笑えます。それはいつも自分が教えてくれるもの。自分の魂が教えてくれるもの。

私はYouTubeで「情熱大陸」を見るのが楽しかったりしますが、バナナジュースを飲みながらAKBのPVを見るのが好きな人もいるでしょうし、ワイルドターキーを傾けながら国会中継を見るのが好きな人もいるでしょう。お茶を飲みながら落語を見るのが好きな人もいる。

何が楽しいのか、何が悲しいのかは、この世の他の誰でもなく、自分の魂が教えてくれるもんですね。自分の魂が常にナビゲートしてくれてます。

身体と心と魂が、いつでもそれを示してくれるわけなので、「悲しい」と感じることよりも、「楽しい」と感じる方へ向かった方がいいですよね。



「やりたいことがわからない」のなら、「楽しいこと」をやった方がいい。




多分それがメッセージなんだと思う次第です。