小さい子供の頃、補助輪付きのチャリンコから、補助なしのチャリンコに乗る練習をする時があるじゃないですか。

あの時って、誰でも転ぶ。上手に運転出来なくて、転んで、膝をすりむいて、血が出て泣いたりする。

で、練習なんてやめたくなったりする。

でも、誰かが「大丈夫だから、もう1回、やってみよう!」って言ってくれたと思うんですよね。親父だったり、兄貴だったり、ママだったり。練習に付き合ってくれた人が。

チャリの後ろの荷台のところを持って、「離さないから大丈夫だよ。」って言って、ずっと支えてくれていた人がいたじゃないですか。

支えてもらいながら、フラフラ、フラフラとベダルをこいで、なんとかそのうちバランスを取れるようになって、いつの間にか「乗れた!」ってなっている。

その時、後ろで支えている人でね、「この子は自転車に乗れるようになるんだろうか・・・。」なんてことを心配している人はいないと思うんです。当然、皆、「そのうち、絶対に乗れるようになる。」ってことを信じている。


私は、人生の幸せも同じようなもんだと思うんです。チャリと一緒。


必要なのはね、「チャリを補助輪無しで乗れるようになりたい!」って思って練習しようと思う気持ちと、後ろで支える人だと思うんですね。

だから、私は後ろで支える人でありたいなあ、ってことを思うわけです。

ただ、後ろで支える人って、別に偉くも凄くもないんですよ。だって、チャリンコなんて誰でも乗れるわけでw

しかもね、チャリンコに乗れるようになった人だって、転ぶこともあるわけです。酔っ払って転んだり、砂利道で滑ったり、タイヤがパンクすることもあれば、チェーンが外れることもある。



そんな時はね、パンクを修理してもらったり、怪我を直してもらったりもしなきゃならなかったりするし、「当分、チャリンコなんて乗りたくねえ。」って気分になったりもします。人生は、そんなもんじゃないですかね。


支える時もあれば、支えられる時もある。


幸せな人が、いつまでもどこまでも幸せなわけではないわけで。

チャリンコなんて、誰でも乗れる。

人生だって、誰でも幸福になれるよ。



そして、そのうち、「絶対に離さないでね!」って言いながら、1人で前を向いて、ドンドン進むようになるw