私が小学生くらいの頃でしたかね、歩いて数分のところに仲の良かった1つ年上くらいの女の子が住んでいたんです。

ただ、その子がそのあと重い病気になり、障害を負ってしまったんですね。


ただ、近所ですからたまにお母さんと一緒にいるところを見かけることはあるわけですが、なんてったって超絶人見知りだった子供の頃の私ですから、特に話しかけることなんてのもなく。

大きくなったある日、

駅に向かう為にバス停に行くと、その子とお母さんが立っていて。

特に挨拶とかすることもなく(お母さんは明確に私のことを認識しているんでしょうが、色んなことを気にして声をかけないようにしていたんでしょう)、バスを待ち。

でね、途中でバスより早くタクシーが来たんですね。

で、お母さんがそのタクシーを止め、乗り込む時に私に言いました。

「○○まででしょ?乗って行かない?」と。

突然のことであったのと、人見知り過ぎだったのもあって、「あ、大丈夫です。」って言っちゃったんですね。

その時のお母さんの寂しそうな顔が今でも思い出されます。

多分、お母さんも、意を決して声をかけてくれたんだと思うんですね。

きっと。

乗ればよかった。


乗って、どんなに些細なことでもいいから世間話の1つでもして、1つでも笑えればよかった。



人はね、多から少なかれ、大きかったり小さかったりする様々な後悔を抱えて生きていくもんですね。

思い出すと胸が痛くなるような、あの日の小さな後悔。

ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、あんなことを言わなければよかった、もっと優しくしておけばよかった・・・、って言うような。

過去に戻ることは出来ないから、何をどうやってもやり直すということは出来ないけれど、やり直せないからこそ、その胸が痛くなるような後悔や罪悪感をもうこれ以上増やすことのないように、「あの時」とは違った生き方をするようになる。

大人が大人であるのは、いくつもの悲しみや後悔や罪悪感を持っているからこそ、なのかもしれません。

「消せない小さな痛み」があるからこそ、多分、人は少しやさしくなる。