生い立ち⑤ 農家1年半 自〇の原因 農家・世襲制の闇 離婚 | 自然派マザーのブログ

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私たち夫婦は、30歳の時に、

 

彼の本家の農業を継ぐために

本家に住みながら、

北海道が運営している

就農研修を受け、

暮らすことになりました。

 

農業の仕事は、毎日早朝から日暮れまで

満身創痍で笑い泣き夫婦で筋肉モリモリになりました。

お日様に当てられ私はおそらくここで

大分皮膚の老化が進んだと思います。

 

雪深い冬には、トラクター運転免許(大特)を取りました。
経営管理のパソコン業務も彼は教わっていたようです。
農家は経営主なので収入も多い反面、

トラクター数百万など支出も莫大で、

あんなに重労働で天候の運に左右される過酷な職のわりに

手取りが少ないのです。

制度でそういう仕組みにさせられているのです。

 

本家夫婦には

「子どもを産まなければ男と同じく働いてもらうからな」と言われ

頑張りました。

経済的に辞めていく農家も多い中

つぶれずに収益を上げているので

尊敬していました。

 

本家夫婦には長男が居て、農業を継がせていましたが、

嫁と一緒に出て行った というので、

その跡がまに、と頼まれて行ったはずなのですが、

「やる気がない」

「乗っ取りに来た」「遺産目当てか」など

冗談ぽく言われる日々

信用も得られず
養子縁組もしないような雰囲気で

農地の引継ぎはどうするのか見えないままでした。

 

そのうち、

出て行った息子夫婦と電話で話す機会があり、

聞いてみると

「出ていけ」と言われたから出てきた

というではありませんか。

話が違う、と気付きました。

 

息子夫婦は、

おじさんの後継ぎとして頑張って働いていましたが、

息子さんがうつになり、

このままではいけないと思ったお嫁さんが、

一緒に沖縄へ行って、

農家から離して療養させようと思ったんですと。

 

この後、通じ合えた私たち嫁同士は

何度か文通をしてお互いを励まし合い

近況報告などをしていました。

とても心優しい息子さんで
周りの若者からも慕われていました。

お嫁さんは口数は少ないけれど

芯のあるしっかりした方でした。

 

息子さんは、父親やりたくてもできなかった

「農家を離れて別の仕事で暮らす」カルマを

無意識に消化していたのでしょう。

 

 

本家の祖母が自〇した原因は、

継いだおじさんの怒鳴り・なじりでした。

ハウスを開け忘れて作物を枯らしたという事を

大声で怒鳴られたようです。

私が聞くと、おじさん本人が答えてくれました。

自覚があるのもびっくりしました。
きっぱりと「俺のせいだ」と言ってましたが
しょんぼりとか、「悪かった」という雰囲気が

感じられないのも不思議でした。

 

※※※

時々 農作業の道具のフォークを持ったおばさんに

冗談で「小悪魔みたい」と言っていましたが、

おじさんとおばさんはなんだか本当に
小悪魔みたいに見える時がありました。

 

 

なぜ本家のおじさんはこんな怒りおじさんになったかというと、

元々農家はやりたくなかったのに、

有無を言わさず継がされたからのようです。

 

他の農家は、まず息子に好きな事をさせて都会に出して、

気が済んだら農家を継いでもらう、

ついでに都会から嫁さんを連れて帰る

もっと上手なところは、

嫁には農家業はさせず子育てと家事に専念してもらい、

女性を大事にする家は円満で長く続く事を知っている

賢い家もあるのですが、

 

おじさんは、一度も外社会に出させてもらえていませんし、

そのことを聞くと「仕方ないんだそういうもんだ」と暗い顔をするので、

全然自分事として農家継承を消化できてないんだと思います。

不満を親にぶつけたこともおそらくないし、

外に出てみようと試みたことも無いと思います。
その不満エネルギーを、
周りの人間にぶつけてしまっているのでしょう。

 

 

今思えば、

おじさんの親の果たせなかった

「農家で経済的に豊かになる」を

カルマとしておじさんはやらされているのかもしれません。

聡明なおじさんは

「大学に行きたかった・博士になりたかった」そうです。
今でも本当は農家をやめて外に出たいんだと思います。

カルマの消化ばかりで全然自分の人生を生きられてない。

 

だから、農業をきっちりとやらない人に対して

罵倒したりするんだと思います。
「自分が生きたい人生を犠牲にして農家頑張ってるのに!
それをないがしろにするとは!!」

という気持ちだと思います。

※※※


農家は冬雪に閉ざされ、やることが無く

うつになる方も多い。

本家のおばさんも毎年冬だけ、うつでした。

私たちと同居中も一度
倉庫で首をつっているところをおじさんに助けられ

一命を取り留めていました。
でも
やることが無いだけでは

ここまでにならないと思うのです。

 

・子どもが後を継いだが途中で出て行った、今までの努力が水の泡感

・農作業に厳しい旦那と常に一緒

・子供の身を案じる

・将来の心配

・終わりのない重労働

・体力の老化

・国や地域の助けの限界

・財産目当てで北見から来た(と疑われていた)夫婦の世話

・新しい跡継ぎへの不安

 

などがあったのではと思います。
そもそも家庭の太陽である女性を大切にする風土があれば

こうはならないと思います。

※※※

国や地域の助けの限界 とは、

農道である私道を整備するにも

農水省の許可が無いと、できない

多くの人が私道整備したい時は

優先順位が…

 

となると、

 

上が開催する

受けてももうベテランにはあまり有効感のない研修や

できれば使いたくない農薬の使い方の研修

などにも参加し、日ごろから

友好関係を作っておかなくてはいけません。

 

私は無農薬農業に興味がありましたが、

それを伝えると

「売るものは農薬を使い、自分らが食べるものは無農薬だよ」

と言うお返事に、

「罪悪感が麻痺させられているなあ」

とも感じました。

 

そもそも、農薬を使わないと

収入が出ないような仕組みに

されているなあと感じました。

 

きつい農作業がたたってか、

私は生まれて初めて30歳で盲腸になりました。
 

リズ・ブルボーの本で盲腸になる気持ちの分析を抜粋しますと、

「自分が安全ではないと感じ、誰かに依存する為に、

自分をありのままに表現することができません

その為にいつも強い怒りを感じているのです

さらに、権威のある人が自分をうんざりさせたときに

その表現ができません。

そして、閉じ込められたような気分になるのです

虫垂炎(盲腸)にかかった人のほとんどが、

その前にそうした経験をしているはずです」

 

やはり当時の私に当てはまりましたね。

 

私が毎日満身創痍で働かされていて身の危険を感じ、

でも衣食住はおじさんに出してもらっているので依存してて。

私はおじさんもそうですが、

旦那さんに対しても強い怒りを感じていました。

自分では旦那やおじさんに噛みついて、

おばさんになだめられるくらい本心を表現していたつもりでしたが、

実際は、お向かいの家で、

泣きながら農家に来た苦労を愚痴っていましたので、

やはり表現し足りなかったのでしょうね。

おじさんからの農業への果てしない高い要求にうんざりしていたかも。

農家に閉じ込められていた感もあったでしょう。

 

1回手術して虫垂炎を取ったのですが、

そのあともう一回同じ症状になりました。

 

農家をやめてからは再発はありません。

 

もう一つ農家の間にかかった病気は

花粉症です。

イネ科の雑草の花粉アレルギーで、

目の粘膜が赤く腫れるのです。

 

農家を辞めると間もなく治まりました。

 

他の農家の方で

ブタクサのアレルギーの方がいらして。

その方は、農作業の必要性で長年

農場周囲にブタクサを枯らす除草剤を撒いているそうです。

 

なぜアレルギーになるんだろう?

症状から感じるのは植物の「たたり」だろうなと。

 

イネ科の雑草アレルギーになった私は

イネ科の雑草を長年除草剤で除草してきた農家で働いたときに発症し、

ブタクサアレルギーの方は
ブタクサを長年除草剤で除草している環境で働いている。

 

農家を離れても

そこら中にイネ科の雑草はあるけれど

除草剤でいじめられていないので

だんだんとアレルギーは出なくなった

と推測します。

 

※※※

 

あと、おじさんの娘のお婿さんがうつで、

仕事ができない状態でしたが、

それを帰省のたびにおじさんがなじるものですから

とうとうお婿さんは自〇してしまいました。

 

小さな子供2人と嫁さんを残して泣くうさぎ

 

そのお婿さんも、働かずとも元々裕福な家系なので

必ずしも働かなくてもよかったと思うのです。

子どもの世話もよく見ますし、繊細で優しいお婿さんでした。

 

ただ、働きたくない農家を継がされているおじさんには

許せない存在だったのかもしれません。

 

お嫁さんも、

おじさんがお婿さんに説教している場面でも
お婿さんをかばう様子が全く見られなかったのが不思議でした。
 

説教時にかばえないとしても、

帰省は旦那さんを家に置いて娘と孫だけで行くとか

説教後に旦那さんにフォローを入れるとか
やれることがあったように感じました

 

実際していたのかもしれませんし

確かめようもないのですが。

 

 

お孫さんにおじさんが

「おとうさんはどうやって死んだんだ?」

と聞いて

「〇○○~」と

親戚の前で答えさせていたのも 

違和感を感じ

印象に残っています。

 

※※※

 

正論を振りかざす事ほど、嫌な物はないのですね。


 

夫婦のトリセツか何かでも読んで知識はあるけど

実例ってピンとこない方もいらっしゃるかもですが、

こういう事ですね汗

 

そして

 

「外の世界は自分の写し鏡」なのです。

ですからこの時の私も

正論を振りかざしていたのでしょうね。

 

 

※※※


そのうち、

私たちも農作業のやり方でおじさんに激怒され

「出ていけ!!」と言われ、

今だ!と思って

私は旦那さんに

「出て行けって言われたから出て行くね」

と言い、

一人軽トラで北見に帰って来たのです。

 

後継ぐ気で入り

2階も私たち用にリフォームし

ダイニングキッチンを作ってくれたり

色々良くもしていただいて
申し訳なさも多分にあったので、

去る前に先祖の墓に行って

お花を供えて

「継ぐって言って継がなくてごめんなさい!!」と

最期のご挨拶をして

逃げるように車を走らせました。

 

帰る途中、

「この身を清めたい」と強く思っていたら、

看板に「行者の滝」とあるではありませんか。

思わずハンドルを切ると、

山奥の突き当りに、小さな滝がありました。

間もなく、

3~4名ほどの行者さんご一行が来て

「今から行をするので参加しませんか?」

と声をかけて下さったのです。

怪しいと思いつつ、

あまりのタイミングの良さに

「濡れないんですか?」

「ここで祈って卵投げるだけですよ」

というので

参加させていただく事にしました。
行者の方が白装束で川に入り小さな滝に打たれ

生卵を1つ渡され、

他の方がやったように

河岸から川中の岩に投げました。

それが儀式のお供えになるようでした。

 

「私のけがれをお祓いください」と強く願いました。

 

晴曇りの日で、

他のお子さん連れも見学されていました。

「すげー!本物だ!修行僧だ!」と周りで騒いでも

僧は怒ることもなく淡々と儀式を終え

帰り際

「あなたラッキーですよ、ここには

月に1~2回しか来ないから」

と言われました。
特に参加費用も取られず、
自己紹介や勧誘もなく、

20分ほどで帰って行かれました。

 

願いが通じ 奇跡が起き

厄も払われ

神かご先祖か龍神様か わからないけれど

本当に感謝しました。


「こんなことってある?!んだね!!」


私が初めて

見えない 何か の存在に

願いを聞いてもらえたと

はっきり感じた出来事でした。

 

※※※

 

北見の実家で私は母に事情を話し

しばらく休むことにしました。

あとで妹に聞くと、その時期の私は

息絶えだえで打ちのめされている

渡り鳥のようだったそうです。

 

やがて旦那さんが来て

名寄へ連れて帰ろうと来たのですが、

母からの質問への答えも、

答えにはなっていず。

私は離婚を決意していたのでそれを伝え

帰ってもらい、

おいおい必要な荷物を取りに行き

向こうのご両親ともご挨拶をし

慰謝料なしで貯金半分こにして

スムーズに離婚しました。

 

私が買ったパソコンや車は旦那さんにあげましたが、

その冬、旦那さんは車で事故して、

身体は無事でしたが廃車になりました。

 

当時はカルマとは知らずに生きてましたが
最近、母のカルマの解消と気づき
自分ながら恐ろしいと思いますが、
これで私の元旦那さんへの報復もおおむね完了したのです。