未解決20年…息子は何故、殺されたのか 苦しむ母、今も聞こえる声
2022年(令和4年)5月22日8時30分
情報・通信/業、新聞/社:毎日/新聞/社
何故、事件が起きたのか――。兵庫県川西市の路上で深夜、会社員の小瀬(こせ)秋雄さん(当時30歳)=伊丹市=が何者かに刺殺された事件は23日、未解決のまま発生から20年を迎える。母の盛山/時枝さん(74歳)は月命日には欠かさず、お墓と事件/現場を訪れ、手を合わせてきた。風化に抗いながら「息子は今も私達、家族や友人の中で生きている。犯人に繋がる手掛かり、が欲しい」と訴える。
「あっ、秋雄の声が、した」。外出して人通り、が多い場所に紛れ込むと今も、そんな思い、に捕らわれる瞬間が有る。辺り、を見回し、姿を捜す。「居る筈は無いのに……」。時枝さん、は少し目を伏せて話した。
20年前の、あの夜、秋雄さん、が事故に遭った、と言う警察(官公署/警察/機関)からの連絡を受け、搬送先の医療/病院に急いだ。間違い、だと思った。何度も、秋雄さん、の携帯/電話を鳴らした。でも、応答は無い。「電話、出てよ」。何時しか涙声で留守番/電話に吹き込んでいた。到着後、事件で死亡したと知らされた。混乱した。秋雄さん、は3人/兄弟の次男。長男が経営する外装/工事/会社に勤務し、一人前の腕前に、なっていた。時枝さん、は毎日、近くで一人/暮らし、を、する秋雄さん、に昼食の弁当を用意した。事件に遭遇した日の夕方に弁当箱を返しに来た際も、「美味しかった」と言う声を聞いたが、言葉を交わさなかった。ずっと続いてきた日常が数時間後に断ち切られるとは考えもしなかった。
「誰にも優しかった」
「明るくて、子供/好き。誰にも優しかった」。仕事/帰りには、長男の子供に捕まってボール遊び、やテレビゲーム等に一緒に興じた。一時、料理人の修業をした経験が有り、屡々、友人を招いて料理を振る舞ったり鍋パーティーを、したり、した、と言う。亡くなってから、沢山の友人達に恵まれていた事を知った。「僅か30年の命だったが、楽しく過ごしていたんだ。凝縮された人生を送れたかな」。そう思いたい。事件後、時枝さん、ら、遺族は警察とは別に友人ら、に話を聞いて回り、当日/夜の足取り、を調べた。「解決への手掛かり、が寄せられる、かもしれない」と、秋雄さん、の携帯/電話の番号やメールアドレスは遺族が引き継いでいる。有力な情報/提供/者には謝礼金(最高300万円)を支払う事も明らか、に、している。時枝さん、は毎夜、枕元に遺影と遺骨の一部を納めたペンダントを置いて眠り、に就く。「夢の中に現れた秋雄に聞きたい。私は真相を知りたい」【土居/和弘】
川西市オートバイ男性/刺殺/事件
2002年(平成14年)5月23日、午後11(23)時40分/頃、兵庫県川西市栄根2の県道の側道で、小瀬/秋雄さん、が大型オートバイに股がったまま血を流しているのを通行人が見つけた。胸を刺され、傷は心臓に達していた。凶器は見つかっていない。尼崎市内に向かう途中、何者かとトラブルに、なり刺された可能性が有る、と言う。殺人等、凶悪/事件の公訴/時効は10年に撤廃されている。情報/提供は官公署/警察/機関:兵庫県/警察/本部/川西/警察/署(072・755・0110)。県警のホームページからメールでも受け付けている。