
朝早くに、いとこが夫婦でやってきた
「お母さんの病院から電話があって呼ばれて。今帰ってきた。誤嚥性肺炎になり肺が真っ白になっとう。酸素は送っているけど、いつ心臓が止まってもおかしくない。親しい人には知らせてください」って言われた。
と
忘れもしない9月15日
あれからもうすぐ5か月
なんどか危機があったけどなんとか持ちこたえてきたけれど、いよいよなときがきた・・・
幸い夫も休みだったから夫婦で行けた。
頑固なばあちゃんに仕えたおばさんは
同じく頑固な父と親子になったわたしの夫に
「言い方がきついよね」
と、よくいたわりの言葉をくれた。
わたしが3歳のときに嫁入りしたおばさんは
あの頃はみんなそうだったけど庭を挟んで離れに住んでいた
母屋は、ばあちゃんと古いばあちゃんが住み
門の2階に長男家族
(わたしら)
離れに次男夫婦で住んでいた
昔の写真のわたしは、常に笑顔😆😆😆
むしろ笑ってない写真は
ないような?
そして1番たくさんいっしょに写っているのが父の弟🙆🙆🙆
父のきょうだいは弟1人だけど
祖母のきょうだいは多く
みんなが
「舞子さん」
「舞子ちゃん」
と呼んで可愛がってくれた
わたしが大病したとき
泣きながら
「舞子ちゃん、好きやろ?食べんね。たくさん買ってきたけんね」
と、トマトを5箱持って来てくれたこともある
優しい祖母の弟
「うんにゃ、あんちゃん。舞子さんは桃🍑が好きとばい」
競うように大きな桃🍑を
押し抱いて来てくれた
もう1人の祖母の弟
「ばかやね、舞子さんはわたしの作った料理が好いとうとばい。あんたたちのはのけて」
と、祖母の姉
思えば生まれたときから
たくさんの笑顔と愛情たっぷりに囲まれたわたしだったと61歳で気づく
ほんもののバカだ
あの日々は
当たり前じゃなくて
特別しあわせな日々だ
記憶にあるおばさんは
ドーナツ作ってくれた
ホットケーキ🥞焼いて
サンドイッチ🥪作って
チキンライスを作って
昔は超貧乏だったから
手づくりのおやつは
キラキラしていた
スカートを縫って
ワンピースも縫って
おじさんがギター弾いて
おばさんが手を叩いて
わたしが踊る写真がある
昔の白黒写真は
黄ばんでいるけど
笑う声が聞こえそう
おばさんのきょうだいが
次々にやってくる
筑後なまりが懐かしい
おばさんありがとうね
本当にありがとうね
たくさんの愛情
たっぷりの優しさ
ばあちゃんは任せとき
残るいとこの家族も
仲良くするからね
