40年以上まえに
施設保母(当時の呼称)
の資格習得の為に
施設実習にいった。
12〜14人のグループに分かれて。

はじめは、重度心身障害者施設 次は乳児院 次は養護施設 次は・・・


20歳やそこらの若い自分ではショックだった

昭和の当時は
障害がある人は、家人が隠したり施設に入れたりしてあまり町中で目にすることはなかった

たまに目にしても
「いうこと聞かないとあんなになっちゃうよ」
と、大人がいう

その言葉が問題になったりはしたが、炎上することはなかった。

重度心身障害者施設では
地鳴りのような声を浴びた

施設職員の人が
「外部の人が来られたから興奮して、歓迎しているんですよ」
と、おっしゃる。



気がつくと、隣の人の手を握っていた。
身がすくんだ。

学ぶうちに、出産時や病気のあと不自由な体になったことを知る

昔から、障害がある人は一定数存在し

医療が進歩しても、減りもせず、増えもしない


体は自由に動いてくれた方がよい?

頭だって良い方がいい?

スポーツだって万能ならかっこいい

でも
親に似て色白でも、色黒でもそれは個性

頭いい人がいれば
苦手な人もいる
それも個性

スポーツも好きな人
嫌いな人
苦手な人
なんでもでたらめにただ
動きたい人もいる
それも個性

人に頼るのが苦手な人
頼ってばかりの人

体が自由な人もいれば
不自由な人もいる
それを個性と呼べるか?

世の中の不寛容さよ




失敗しない道だけを歩きたい人


たまに失敗すると、肩を落とす人

あー間違えた
と、嘆く人


若い時は、わたしもそうだった。

失敗のない道
無難な道を探した

でも

それがおもしろくない
と、いつか気づいた

遠回りしても、それも悪くないと思えた




今、60過ぎたら

傷?勲章よ
陰口?そういう意見もあるのよ〜
嘲笑?わたしを気にしてくれてありがとう
噂?本当かもよ
代表?簡単よ。謝罪は任せてねわたしの仕事
と、言えるようになった




肩も手も不自由になり
すべてをあきらめた
なんにもないと思った

仕事をなくし
生きる意味がなくなった



でも
あきらめたら見えた

ちゃんとしあわせはいた
わたしの隣に夫がいる
両親もいる
子どもがいる
孫もいる

それでいい
それがいい

お金はいらない
高級バックも 
もういらない

指輪もいらない

していく場所がない🤣



握っているものを
手放す勇気があるか?

握っているものを
捨てる勇気があるか?

すべてを手放すと
そこには
今までとは違う景色があり肩の荷がおりる


選んだのが最善と限らない

歩いた道が最善だった



今、少し不自由な体と向き合うわたし

今日は体のあちらこちらがこむら返りして痛い

心臓が止まるか?
くらいにバクバクして痛い


そんな日もある