『女子高生コンクリート事件』
この事件、今の若い人はほとんど知らないだろう。今から約30年前に起きた事件で、僕は生まれていたが如何せん幼稚園か小学校低学年だったので、リアルタイムでの記憶は無い。
僕がこの事件に初めて触れたのが大学時代。院生時代にはこの事件に関連する“法の穴”についての論文を書いた。それが10年ほど前。
ふとした事から最近この事件の資料を読み返した。今は感情のコントロールができない。事件詳細は書かないが、恐らくほとんどの人はこの事件の詳細を知ると怒りやもしかしたら殺意、あるいはやり切れなさだったり、深い悲しみを覚えるだろう。僕には姉妹や娘はいないが、もし自分の姉妹や娘がこんな目に遭ったら確実に犯人達を殺すか、あるいは彼らの娘や息子などに同様の事をするだろう。そうしたとしても怒りや悲しみが消える事は決して無いが、そうした復讐をせずにはいられない。
こうした事を書くと危ないヤツだと思われるかもしれないが、戦後少年犯罪史上最悪の事件とも言われる残忍な事件であり、にもかかわらず彼らが受けた罰が被害者感情とは遥かに乖離した軽さだったというのを考えればそう大袈裟ではないと思う。
もしこの事件を知らない人が今回の僕の日記を読んで『そうなの?』と感じたなら、Wikipediaでも何でも良いから事件の詳細(発生から現在まで)について少し調べて目を通してほしい。そしてその被害者が、自分の姉妹や娘だったらと想像してみてほしい。
その上で僕が今回書いた事が大袈裟だと感じたなら、きっと僕とは感性が大きくかけ離れているのだろう。
この事件は僕が法曹としての適性が無いと自分に見切りをつけた事件でもある。
被害者の心に寄り添ったり推し量ることは大事だが、あまりに感情に流されやすい者は法曹には向かない。
近年未成年者による凶悪犯罪が横行するなかで『少年法撤廃!』という声が多く聞かれるが、この件は法律に無縁の人が少年法というのを知ったキッカケの1つであったように思う。もしこのタイミングで撤廃されていれば、後年の酒鬼薔薇や光市母子殺人などは起こらなかったかもしれない。
あるいは“永山基準”を見直すタイミングでもあったように思う。
何の瑕疵もなく夢や希望を奪われ酷たらしい最期を迎えた少女とその家族の悲しみや憎しみは消える事はないだろう。そして犯人達はさっさと釈放され、のうのうと生きている。この意味を考えてほしい。
この事件、今の若い人はほとんど知らないだろう。今から約30年前に起きた事件で、僕は生まれていたが如何せん幼稚園か小学校低学年だったので、リアルタイムでの記憶は無い。
僕がこの事件に初めて触れたのが大学時代。院生時代にはこの事件に関連する“法の穴”についての論文を書いた。それが10年ほど前。
ふとした事から最近この事件の資料を読み返した。今は感情のコントロールができない。事件詳細は書かないが、恐らくほとんどの人はこの事件の詳細を知ると怒りやもしかしたら殺意、あるいはやり切れなさだったり、深い悲しみを覚えるだろう。僕には姉妹や娘はいないが、もし自分の姉妹や娘がこんな目に遭ったら確実に犯人達を殺すか、あるいは彼らの娘や息子などに同様の事をするだろう。そうしたとしても怒りや悲しみが消える事は決して無いが、そうした復讐をせずにはいられない。
こうした事を書くと危ないヤツだと思われるかもしれないが、戦後少年犯罪史上最悪の事件とも言われる残忍な事件であり、にもかかわらず彼らが受けた罰が被害者感情とは遥かに乖離した軽さだったというのを考えればそう大袈裟ではないと思う。
もしこの事件を知らない人が今回の僕の日記を読んで『そうなの?』と感じたなら、Wikipediaでも何でも良いから事件の詳細(発生から現在まで)について少し調べて目を通してほしい。そしてその被害者が、自分の姉妹や娘だったらと想像してみてほしい。
その上で僕が今回書いた事が大袈裟だと感じたなら、きっと僕とは感性が大きくかけ離れているのだろう。
この事件は僕が法曹としての適性が無いと自分に見切りをつけた事件でもある。
被害者の心に寄り添ったり推し量ることは大事だが、あまりに感情に流されやすい者は法曹には向かない。
近年未成年者による凶悪犯罪が横行するなかで『少年法撤廃!』という声が多く聞かれるが、この件は法律に無縁の人が少年法というのを知ったキッカケの1つであったように思う。もしこのタイミングで撤廃されていれば、後年の酒鬼薔薇や光市母子殺人などは起こらなかったかもしれない。
あるいは“永山基準”を見直すタイミングでもあったように思う。
何の瑕疵もなく夢や希望を奪われ酷たらしい最期を迎えた少女とその家族の悲しみや憎しみは消える事はないだろう。そして犯人達はさっさと釈放され、のうのうと生きている。この意味を考えてほしい。