※これは僕がLINEで語った内容です

LINEのタイムラインを使わないとそれはそれでつまらないなと思うようになった。
確かにどうでもいいことだし孤立して生きる人間の戯言や弱男としての意見など塵に等しい

だが社会とは何なのか、を言及するだけではなく
知るべき人間には知っておいて困ることもないようなことを教えられたら良いのではないかと思える。
まずLINEは10年以上語ってきたツールでもある、
Twitterよりもずっと長く使っていてブルー認証の長文を書くよりもLINEはしっくり来る感じだ。

もちろん僕自身はデタラメなこともしょうもないことも書いてきたが他人と違うことを一つこなしてきた。
LINEでは収入が増えることは少ないがある時長文を書きたくなったりする。

なのできっぱり辞める、というよりもマイペースに続けていくのがやはり僕らしさなんだろうと思う。
一方で僕は色々なことを学んできた。
この社会が何たるか、
そんなことは知らずとも人々がこれから不況と向き合わなければならない事実は変わらない

しかしどんな理由であっても為政者は為政者であって僕らの人権は僕らでしか守れない
もちろん法律はあるけどこの社会の法律には法的履歴が存在する。

前提にあるものとして成人、即ち
社会人になると誰もが与えられるのが
「信用情報」そもそも事故情報や信用情報って何なのか、
まず簡潔に述べるとするならば個人に与えられる社会的信用スコア。
分かりやすいのは
PSYCHO-PASSのシビュラシステムや
中国のアリババの信用スコアになる。

確かこの信用スコアなるものも
学生時代から呟いてきたことだ。
現代はまだ一般的に知っている人は少ない

そもそもそれが何を基準とされているのかもわからずにいるのがほとんどのはず。

信用情報機関や金融機関、
それぞれの機関で共有し個人の公的記録を確認することができ
これらの情報をもとに信用評価が与えられる。
クレジットカードの発行などの審査はいわゆるこの信用評価を見て判断している。

学生卒業後は真っ白な状態なので
学歴などから評価されて大丈夫であれば審査が簡単に通るようにできている。

けれど滞納をすれば、滞納歴を記録される。
この信用情報に記録が付けられていくほど
社会人の僕たちはどんどん社会的ステータスが低くなる。

そして最初の法的履歴について語るにはこの信用情報が何たるかを知る必要があった。

法的履歴とは例えば
何らかの滞納を繰り返し債務を払うことなく原告が被告に対し訴訟を起こしたり、
差し押さえなどを起こしたりすると裁判での記録が公的記録として残ることになる。

被告が出廷したかどうか、
支払いを支払ったかどうか、
或いは無視し続けたかで大きく代わり、
差し押さえならば差し押さえの記録が残る。
この記録が残るとどうなるかというと
今後の裁判における主張のほとんどが不利になるということ

つまり法的履歴とは信用情報をもとにした
上位互換の信用スコアとなり
悪事を積み重ねれば重ねるほど社会上で生きていく中で苦しくなるシステムである。
これだけを聞けばなんだそんなことか、
と思う人もいるが
重要なのはこの繫がりがどう影響しているか、だ。

例えば全てを放棄したとしても人間は社会的に孤立すればするほど息苦しくなり、
どこかで助けを求めようとする。
次第に社会に戻りたくなるほど追い込まれ
やがて社会保障に行き着き社会復帰へと向かっていく。
だがそれは果たして本当に自分の意志だろうか。
そう、このシステムはリスク管理だけでなく
社会的な帰属意識を個人にもたせるものでもある。

本来は犯罪者やリスクを抑える為のシステムだが最終ビジネスに持っていく為の社会システムになる。

もちろんこれを完全に無視しても影響がない人も全然いないことはない。
ただし多くの場合
学校教育という集団行動を学び社会で生きていくための体力や知識を身に付けさせられてきた。

跳び箱など意味のわからないものを飛び越えて受験など将来覚えてもいないものを必死に覚える、
東大に入った人でも卒業後には就職したりとしっかりと集団行動での学びが定着している。

そこに違和感を覚える者ほど
不適合者として生きようともがくが
そう簡単にはいかないように社会復帰への道が用意されている。
これはまるで支援していると思わせてくれるが本当に支援しているならなぜホームレスは放置されているのだろうか。

これは日本だけに限った話ではないが社会や国とは、そうした秩序のもとで構成され人々の安寧を維持し、時に人々を脅かし戦争を企てていく人間が存在する。

当然学校というのは同じように育てられた人間が先生となって教育しているだけなので
教師は不良に対して真摯に向き合うことはなく忠実な生徒に対して内申点を与えることになる。

もちろんテストの点数を稼ぐかどうかは生徒の意識次第で決まるが
それらは家庭環境に左右されるものだ。
当然あぶれた人間は追い付けず
弱男、弱女として見捨てられていく。
どれだけ点数を稼いで頑張っても内申点によって成績が伸びない生徒は教師の評価によって決められる。

これは日頃の生活態度や行動などからも確認され
それぞれの評価が与えられているからだ。
ただしあまりにも結果を出している生徒には
不信がられるのを防ぐために成績を高く付けたり推薦などと言って特別扱いにする場合もある。

まるで全ての行動が教師や学校、
社会的な意思によって人生が左右されるほどの影響を与えられる。
そして優秀な生徒は
就職して安定した生活が保証されると教えられ辞めることは今までの努力を捨てるものであると刷り込まれる。
石の上にも3年、続けていればきっと見えてくるものがあると教えられるだろう。

社会は厳しいものだ、
だから辞めたらそれまでになってしまう、
福利厚生は失い、
非正規雇用になってしまうぞ、給料が下がるぞ

そんなふうに人々は刷り込まれ
定年まで働くものの
年金の受給年齢はどんどん遠ざかり、
60歳から70歳まで引き上げられていく。

もう少しで定年退職できるはずだった人は
ここまできたらもう辞められない、
70歳まで働いてやると意気込むが
そこまで生きれば残りの人生はわずか30年あるかないか。

社会からすれば寿命もあるし巨額もプールされるから70歳まで働かせよう、
そういう意図で日本の場合は失われた30年を繰り返す。

大人は子どもに教えることができず子どもは無知のまま社会に出て信用情報の存在を後から知る。
気付いた時には事故情報ばかり、
取り返しが付くかどうか、
そんなことを考えるよりも
この馬鹿げたシステムから如何に脱線するかを僕は考えて生きている。

これらの内容をあなたはどう思うか分からない、
弱男の意見として聞き流しても良いし、
現役学生だけでなく社会的弱者の方や無職でも構わない。
一人の戯言を最後まで見ていただきありがとうございます(*‘ω‘ *)