「老害」という言葉は、年取った人達が新しい考え方や変化に対して、保守的であることを指す時に使われる感じもしていたが、一般的には、特定の世代が持つ見解や、古い考え方を指していると思っている。

 



社会の変化が速い時代に、新しい価値観や技術に対する柔軟性が求められている場面で、この言葉が使われることがあると言うことだ。すべての年よりの人達がそうではない。

 



テクノロジーの進化に対する拒絶も大いにあるのだろうか。そういった物が老人達のストレスになり、爆発する。電車の中で、バスの中で、又はそれらを待っている時、スーパーのレジで、コンビニのレジ前でも。駐車場、公共施設、役所等でも老害は爆発している。

 



価値観や社会の変化への適応の拒否、と言うか本人は自分がそういった物を拒否している意識はないかも知れない。 性別や人種の平等、LGBTQ+の権利、環境保護とか、現代社会で重要視される令和の価値観や問題についても、昭和の古い考え方を必死で守ろうとする。でも、それは仕方が無いか?
だってその昭和の中で半世紀以上も生きて来たのだから。

 



女性の社会進出や多様性を認める考え方に対して、保守的な見解も凄まじい。老害の温床とも言える国会議員など実際は、男女平等なんて微塵も望んでいないくせに。

 



教育や職場での柔軟性の欠如、学び直しや新しいスキルの習得に対する抵抗。現代の教育や職場で必要とされている、デジタルスキルやコラボレーション能力についても、古い方法や考え方を固守しようとしたりする50や60歳のお爺さんお婆さん。

 




政治的な保守主義とも言える。 政治や社会の変化に対して、リベラルな見解や新しいアイデアに対して保守的な立場をとること。例えば、移民政策や社会保障の見直しについて、従来の考え方を重視し、変化に反対すること。

 




これらの例は一般的なもので、個々の人がどのような状況で「老害」と感じるかは主観的な部分もある。ただし、時代の変化や社会の進展に対して、柔軟な姿勢を持つことが、より健全な社会的な対話や進歩に繋がることが多い。

 




老害の中には、厳格な教育や文化的な背景から、感情や意見を表現する際に直接的な方法を選ぶ傾向がある人も多い。
これは、老人達が育った社会や価値観に基づくものであり、優しさや柔軟性を重んじる文化とは異なる場合も多い。

 




個人的な経験やトラウマも 過去の経験やトラウマが、感情の表現に影響を与えることもあるだろう。
例えば、過去の辛い経験や人間関係の悩みが、積み重なり、感情を表現する際に過激な方法を選ぶことも。

 



そして最も言えるのは、心理的・身体的な健康問題だろうと思う。年齢とともに、認知機能の低下や身体的な健康問題が進行する。つまり老化。

 


これが、意思決定や感情の管理に影響を与え、老害につながる。

 



高齢者の人達がすぐに怒鳴る理由には、年齢とともに感情のコントロールが難しくなることが一つの理由。
ストレスや不安が高まると、感情が爆発してしまい、怒鳴る行動につながる。

 



一部の人々は、怒りや不満をすぐに声に出して表現することを、一般的なコミュニケーションスタイルとしている場合も。

 



年齢とともに認知機能が低下するが、その影響で思考や判断が鈍くなり、感情の爆発につながることもある。

 



見ていると老人達にはそれぞれの特定のトリガーがあるように見える。そのトリガーが引き金となって怒鳴る行動が出てしまうようだ。

 



年取ると確実に脳が委縮する、と言われているがこれが最大の原因だろう。

 



ブログを見ていても、コメント欄で争っている人を見る事も多い。何を言った、言わない等で、いつまでも粘着をし、スクショ等をし、こんな事を言われた、ひどいと何ケ月騒いでいる高齢者もいる。

 



全員ではないが、大体が高齢域に入っているような人たちの方が文句が多いのかも知れない。