歴史改変

 

 一般的には未来人がタイムマシンに乗って、過去に戻り、

過去を変更することで、未来を変えるのが、小説などでは

一般的であるが、本当にそのようなことが可能なのか。

 

 軍事目的で、利用する事が出来れば無敵である。でも、

残念ながら、そのような千年帝国的事実はない。

 

例外は日本の天皇か。

 

 最近、思いついたかことがあり、検討した結果。

もしかしたらというのが、

 

 織田信長の存在である。

 

 歴史上は、天下を目前にして、本能寺にて明智光秀に

殺されたことになっている。

 

 私の着目点は、織田信長の側にいた、秀吉や家康が、

天下人になったという事実だ。つまり弟子の出来不出来で、

師匠の能力を判断する方法である。

 

 

 そのことから判断するに、織田信長は当時の人間としては、

傑出していた人物であった。

 

 反対に、織田信長がいなければ、

「信長秀吉家康 勝者の条件」に書かれている様に、

 

秀吉はどこかの戦いで足軽としての人生を終えているし、

 

家康は、今川に殺されるか、

 

武田にこき使われて、終わるかしていたと思う。

 

 次に、なぜ、信長は京を目指したか、当時1500年ごろ、手工業の技術は、京がトップだった。

 

 戦国時代の国の地方の町の規模は数万人位であったが、

京は20万人規模で、ダントツであり、

 

ほかに、

 

 西陣織の技術は図面に書かれた、各種の色を、

連続して織り込むという、

中国大陸からの技術を発展させたもので、

 

コンピューターと織機が連動しているようなものである。

 

また、冶金技術や、金属加工なども優れていた。

 

 もちろん、地方都市にも鉄工所や刀鍛冶もいただろうが、

現代的な同じようなものを大量に、生産できるところは

そんなにない。鉄砲といえば、近江や島津や堺があったが。

 

 経済も関所をなくして、道を整備して流通を拡大させた。

治安維持目的で、関所を設けても、敵の軍隊阻止には、

役に立たないし、

 

 敵の間者。つまり忍びが入ってくるのを止められないし。

無駄だと割り切ったのではないか、

 

その代わりに監視人を多数、町に配置していたと思う。

 つまり警察機構ですな。

 

 ゆえに、本能寺にて不意打ちで討たれる様なことは

考えられない。

 何か、仕組まれた、事象のような気がする。死んだのは

信長ではなく替え玉。

 

 信長は居城を移すたびに街づくりをしている。

信長の趣味は城下町を設計することではないか。

 

町の人口を増やせば、足軽を募集しやすいし。

 

 私は信長と信忠と明智一家は船に乗り、ヨーロッパに見物に

出かけたのではないかと、思ったが

 

 、6月初めの風は南西から北東に向かって吹くので、

堺沖から出港すると東北へと向かう。

 

 太平洋を横断し、南アメリカのマゼラン海峡を抜け、

アフリカ大陸を北上し、

 

 ヨーロッパに到着するコースは本当にできたのだろうか。

かなり危険な航海だと思う。

 

 佐竹や伊達の領地に停泊しなかったのか。

 

 ちなみに、私は信長と光秀はなんでも言い合えることが

できるポン友だと思っている。

 

 外国の建築や町をどうしても死ぬ前に見たかったのだろうと思う。

 

 信長が、ヨーロッパのどこかで死んでしまい。残った一行は

日本に帰ってきた。

 

 ちょうど徳川が、江戸の町づくりをしている頃だったので案外、

 

江戸の町の基本設計は、 信長の構想が

多く入っているのではないだろうか。

 

 そして、信忠や明智の子孫が家康をサポートして、豊臣家を

滅ぼすことで、戦国の時代を終わりにした。

 

 そうでなければ、再び戦乱が燃え広がり、日本はその後、

100年殺し合いが収まっていなかった可能性があった。

 

 信長がいなくても、秀吉も家康もなく、どんぐりばかりで、

戦国時代は国の全てが疲弊するまで終わらず。

 

 実は、それを変えるために、信長が現れたのではないかと

想像している。

 

 誰がどのようにかは、また今度ということで、

 

つづく