長篠の戦の前の武将たちの思い

長篠の戦端が開かれる前の各武将の考えを考察する。

 

 どのようなことを考えて戦場に向かったのか想像することは、

案外歴史書にも小説にも、書かれていない。

 鉄砲がどうだの、武田の騎馬隊がどうだの。柵がどうだの、

勝頼がバカだの。信玄の武将たちが死に場所にしたの。

 

 まず、初めに、当時の武将をなめるなよと言いたい。

確かに戦いで戦死することはあるだろう。しかし、子孫のためには

犬死はしたくない。我々の想像を超える行動力なのだ。

 

1,武田軍

 1)信長が鉄砲を多く持っているので、その対策は考えていた。

 

 2)狙う首は徳川家康。そのための戦だと考える。

 

なぜか。

 

 信玄が死ぬ前の三方が原で徳川と信長軍連合軍は、無謀と

いわれる。攻撃を武田軍に仕掛けた。私は本当に無謀だったかと

疑問に、思っていた。

 

 確かに野戦で、地理は徳川がよく知っている場所である。しかし、兵力の差が武田軍2万に対し、徳川軍1万で武田軍が2倍である。何も策がなければ、徳川家の武将は果たして、納得したのだろうか。多分重臣の何人かは、知っていたはずである。

 

 一般的に、こうゆう劣勢の時の戦略は、桶狭間のことを

例に出すと、大将の首である。もちろん、1万の軍勢の目標は、

そうである。

 

 しかし、それだけでなく、信玄の陣の近くに伏兵を隠していたと

考える。では、その伏兵がどのようなタイミングで攻撃を仕掛けるといえば、信玄の影武者が5人くらいいたとして、どれが、本物かわからなければ、失敗してしまう。

 

 そこで、徳川の突撃が開始されたとしよう。本陣を目指してくるのである。受ける武田軍側は動揺して陣が乱れたとすると、

 どうしても信玄自身が采配するしかない。

 

 もし、病を患っていれば、たぶん鎧は付けてなかったかもしれない。そうして、本物の信玄の居場所が伏兵にばれてしまった。

 

 しかも、日が暮れそうになり、徳川軍が撤退を開始し始めた頃、

武田軍が、追撃を開始した。みんな気が緩むその時を、狙い

 

後ろから静かに攻撃を仕掛けた、それでも信玄には大して打撃を

与えられなかったかも知れないが、かなりの体力を消耗したと

思われる。

 

 そうでなければ、この際、徹底的に徳川を攻め滅ぼさないで

兵を引き上げた理由が解らない。

 

2,徳川軍

 1)長篠城を助けなければ、三河の武将がついてこなくなる

 

 2)今、兵力は武田軍とほぼ同じまで大きくなった。さらに、

  織田軍の援軍兵力も大きい、

   しかし、織田軍は武田軍だけを攻撃するために兵力を寄越した  か分からない。もし、徳川が壊滅したら、徳川を攻撃するかも

  しれない。ゆえに信長の前で、完勝する必要がある。

 

3、織田軍

 1)武田をつぶせば、斐と信濃は我々のもの。若いころ西は俺。

  東は家康と決めたが、一向一揆が国の富を食い尽くし、兵力を

  増強できない。何とか東側に領土を持ちたい。

 

 2)家康が弱かったら、いつか攻め滅ぼしてやろう。

 

 3)新兵器の効果をこの戦で見てみよう。

 

次回は、新兵器の効果について。

 

補足

 もし、信玄公が伏兵に攻撃されて、即死したならば、

それこそ、歴史は変わっていた。翌日の武田軍の弔い合戦は

間違いなく徹底的に行われ、家康以下全ての武将はこの世には

残らなかっただろう。家康は運が強い。

 

 つまり、この長篠の戦こそが、あと送りされた弔い合戦の

色彩を帯びていたのだと考える。