長篠の戦い (信長の戦略)

 

 カンナエの戦 ポエニ戦争の事である。BC200年頃。

 歩兵4万人と騎兵1万騎のカルタゴ軍(ハンニバル軍)は中央に薄く、両翼を

厚く布陣し守備体制を整えた。そこに、歩兵6万5千人と騎兵7200騎のローマ軍が

攻撃を開始した。

 

 ハンニバル軍の薄い中央が後退し、ローマ軍は勝ったと思って、中央に殺到した。

その途端ハンニバルの両翼はローマ軍を包み込む動きに出た。

 

 結果ローマ軍の損害は6万人。ハンニバル軍は6千人だった。

 これだけでは、ただ、ハンニバル軍が強かったのかと思うがさにあらず。

 

 この損害のほとんどは剣や槍によるものでは無い。例えば、映画館で火災が発生したとき、

出口に逃げようと人が集中して、人が将棋倒しになり死者が出るようなもの。

 

 この作戦の肝は、両翼の包囲攻撃と、中央のローマ軍の突撃の阻止にある。

阻止は、槍衾や落とし穴や障害など、先陣を必ず止める必要がある。

 

 前が止まっても、後ろの兵は前が見えず、後ろから押されるので前に行こうとする。

両側からも包囲にかからない様に退避する形で中央に向かう方向に移動する。

さらに、できる限りローマ軍の中央に指向するだろう。

 

 ハンニバル軍の中央は一時過大な圧力が掛かるが、それを持ちこたえると、

必然的にローマ軍は後と前の圧力に先陣から、兵が押しつぶされてゆく。

 その押しつぶしの波は前から後ろに広がってゆく形で吸収されてゆく。

 

 要点は、勢力が拮抗している場合に両翼から包囲する鶴翼の陣が使える。

攻撃側でなく防御側の方が優位。ただし、敵を誘い込む中央は、敵の強烈な

突撃に耐える工夫が必要。

 

 信長の長篠の陣は鶴翼でさらに、馬防柵を用いて、守備であり、兵力も、

武田軍より多い。

 

 研究家の中には信長の用意した鉄砲の数が1000丁という人もいるが、

ならば、2km以上の防衛線を1000丁の鉄砲でどのようにして武田軍を壊滅させたのか

教えてほしい。そうゆうことは無視して文献がと言っているが、知られている文献は、

ほとんど事実でないと私は見ている。真実は、証拠を残さないように口頭です。

 

 信長は当時大量の鉄砲を持っていたことは事実だが、この戦にどのくらい

持ってきたのだろうか。

 

 周囲に敵が多かったので、半分くらいの4000丁かなと思う。徳川も1000丁以上は、

持っているはず。

 

では、具体的に鉄砲の弱点を明らかにすると。

1、雨に弱い。湿気ると発射できず、間違って、中の玉と火薬を取らず、二重に玉と火薬を

  入れて火を着けたら、暴発して自分はもとより周囲にも被害を及ぼす。

 

2、発射音が大きく、周囲の指示などが聞こえない。

 

3、発射の煙で視界が効かなくなる。

 

4、連続して、早合等、10発も打てば、銃身が加熱する、手で持てない、一旦銃身内部を、

 濡れた布かなんかを先につけた棒で清掃する必要がある。火薬を入れて、

 火が付いたら、かなりの怪我をする。

 

5、弾道は玉の形状と銃身内部の傷などにより、安定しないつまり命中精度は、50m以下。

 

6、発射された球の威力は、球状の為、減衰が早く。甲冑なしなら100m。甲冑を打ち抜く

 のは50m。弾除けの竹束は30mでも打ち抜けない。当然武田軍は多数の竹束兵を、

 用意しているはずである。

 

つまり、信長の鉄砲の使い方は、例えば少ない数の場合、30丁で2弾か3段の連続射撃。

弾幕を張る使い方だろうと思う。それが、当時のベストの使い方。日本だけでなく、欧州も

同様。欧州は隊列を組んで前進してゆき一斉射撃で敵と味方の交互攻撃。

 

 というわけで1000丁では全く足りない。織田と徳川で合わせて5000丁は必要に思う。

しかし、何か月も長篠に張り付く時間的余裕がないため、

 

 信長は、十分に計画し準備したはず。

 

 防衛の馬防柵と、土塁は、この地域の特性で、地盤が軟弱なため、深田を作るには

良いが、地面に杭を立てるには相当深く打ち込む必要がある。よって、徳川が、数か月は

かけて、陣地の立て杭の打ち込みは終わらせていたと思う。

 

 しかし、それだけで、最強の武田騎馬軍団を壊滅させることは出来ないだろう。

 

 必要なのは、武田軍を十分突撃させるスキと突撃を粉砕する作戦と

 

 勝頼の見えない場所での作戦の実施。

 

 第一波が、簡単に打ち取られるのを見せると、勝頼は第二波攻撃を中止して、

引き上げる可能性がある為である。そこで、徳川が突撃したら、

逆に返り討ちになるだろう。

 

 その場合、武田軍の壊滅は後に持ち越しとなり、せっかくの好機を逃すことで、

戦略的には失敗になる。

 

では、どのようにしたかは、次回に続く。