私の神とは、
神の存在を信じるかどうかとかを議論する気はない。
この世を創造したものについて考えると。
量子論の実験結果から、わかることは、
物理法則が美しくきれいな数学的なことから、
創造主たる神は、数学的な計算能力を有する存在と
考えざるを得ない。周りを見回して、そのような存在を、
確認できないので、神の存在は、私は本当はあるのかどうか、
信じ切れていなかった。
ある、考えがでたので、ここに書くことにする。
実際、信じる信じないは、各自の自由である、
まだ、不完全だと思うので、今後に変更があると思う。
以下はその妄想であることを断っておきます。
1)神は3次元(4次元以上かもしれない)立体構造を
物理法則にしていると思われる。
2)1)より、わかるこの世での大切なことは、3次元的動作と、
意志の立体化ではないか。意志と、動作の一致が重要。
3)前の3つの空間の重なりの内、意志の空間はこの世界の
物質とエネルギーの集中と分散が可能な力を有する。
4)我々の存在する空間は、認識可能な広さは有限であるが、
意志の空間は認識可能な広さは無限である。理由は次である。
5)神はぶちゃければ、大きなプログラムで、我々の個々の
意志はその中にある、小さなサブプログラムの一つでしかない。
6)私が、この神のプログラムとそれを動かすコンピュータの
存在が何処にあるかという事が、分からなかった。
神は我々より、ずっと高次元な存在である、何故なら、
そうでなければ、この世界を作ることはできないではないか。
つまり、想定外のカラクリが、見えない所に
存在しているはずである。そして、それは我々には別の姿で、
常に我々の近くに存在しなければならない。
コンピュータは半導体と電子の動きで機能している。
我々の脳は細胞と電子である。
では、神は
この世の全ての電子や陽子等の粒子と
その周囲にある何かである
と空想する。何かは重力なのか、未知なる力なのか、
分からないが、どんなところでも、
自由に侵入できるものであろう。
ゆえに、全ての物質は神の一部である。それらが
機能した場合の記録容量は測定不可能である。
7)我々は何のために存在するのか、たぶんこの世界で
色々な事を経験させることで、成長させて、サブプログラムから
独立してメインプログラムになること。
つまり、新しい世界を作ることだと思うが、
我々地球人がそうなるのは、ずうと未来だと思う。
つまり、多次元な世界の存在は、時間の分岐とかでなく、
そのような神々の世界であると考える。反対いうと、神も
様々で、かなり数が多いのかもしれない。
8)神に近くなるとどうなるかと考えると、言わば、前に書いた
”マトリックス”の主人公の様に意志の力で空を飛び。
瞬間移動も可能。時間の泳ぎ方も自由になる。物質や
エネルギーも自由に操れる。
そのような存在は、異常なプログラムであり、バグである。
つまり、管理者である神が自分の世界から排除する。
この世界から外に放り出される。
9)外の世界に放り出されることは、人が死ぬのとは、異なる。
神という存在が管理してる場所から、
何もない所への追放である。
まっさらなキャンバスに出されて、そこで絵を描けと言われても
絵具も筆もない。自分の意志だけの世界なので、時間は
意味をなさず、手探りしようにも、その手もない状況。
今までは神の力を利用していたサブプログラムなのである。
神の様々な恩恵が無くなった今、自ら神になる為には、
色々なものが必要なはずであるが。何が必要なのかも
解らないので
何も変化が起きない状態のままである。
ずうとそのままでは、せっかく成長した意志でも、消耗して
消滅するしかない。
しかし、もう一つの外に出された意志と遭遇したならば、
2つで一つになり、二人の相違点が様々なことを確認し、
二人で苦労して、必要なものを試行錯誤に創造することで、
新しい世界を作ることができるようになる。
まるで、古事記の神話の世界のようではないだろうか。
以上。