いきなりですが先月のこと。


12月、私も夫もまた1つ歳をとりました。

(ただいま妻41歳、夫47歳の高齢妊活夫婦です)



心拍停止前、幸せな気持ちで迎えた私の誕生日。



そして、心拍停止後、悲しみに暮れた夫の誕生日。




夫の誕生日のときは、まだ自然排出前でした。


せっかくの夫の誕生日なのに、出血はひどいし料理をする気がなく、、ふるさと納税でいただいたうなぎと、それでも夫の大好物のポテトサラダは作って。

(ケーキはクリスマスに食べるのでお互いの誕生日には食べません。40代、月に3回ケーキはキツい)


泣きながら美味しいねって言いながら食べました。



ふと、夫が


夫:え、俺47歳で子ども産むってこと!?


と言い出し、、


私:もうお腹の赤ちゃんは出てきちゃうからね、、またすぐ移植して授かれたらそうだけど、なんならもう48歳になっちゃうかもよ。

そして、あなたは生物学的に子ども産めないよ。


夫:すごいね、俺!頑張らなきゃだ。


私:(何がすごいの?頑張るのは私な。)まぁ頑張ってよ、おじいちゃんって言われないように。


意味不明な会話ですが、夫なりにしんみりした空気を和ませてくれようとしたのだと思います。




夫と付き合いはじめたのは8年前、私33歳、夫39歳のとき。


その3年後に結婚し、37歳から不妊治療(いきなり体外受精から)を開始しました。



あれ??


不妊治療を開始した当初の私の人生設計では、41歳では子どもが2人いる予定でした。


38歳 1人目出産

40歳 2人目出産


今現在、お空には3人の子がいますが、地上には1人もいない。


そんなトントン拍子でうまくいくわけなかった。


こればかりは努力でどうにかなるわけではないし、人生思うようにはいかないものです。


60歳では子どもを成人させて…なんて考えていたのに、どんどん当初の人生設計からズレていく。



それでも、元気な我が子をこの胸に抱きたい。

今後の人生をかけて、子育てをしていきたい。


死産後、娘を胸に抱いたとき、、

この思いはより強固なものになりました。



そして私、やっぱり手術しないとダメそう。



流産手術から1週間後の診察で、今後の治療方針をドクターと話し合いました。



Dr.:出血も減ってきているし、手術後の状態としては問題なさそうです。


私:はい、もうほとんど出血も止まりそうです。前みたいに血腫にならなくてよかった〜。


Dr.:で、これらからどうしていくかなんだけど…


一昨年の10月に撮ったMRI画像を見ながら考えている様子のドクター。


私:はい…(ごくりと息をのむ。どうくる…?)


Dr.:やはりこの腺筋症がある限り厳しいと思います。

(私の子宮腺筋症は子宮後壁からボコっとコブのように膨らんで子宮内にせり出し、子宮内腔のほとんどを占めています)

そしてね、腺筋症はこの頃(1年3ヶ月前)よりかなり進行していると思います。

もう腺筋症のせいで今は下からのエコーではほとんど子宮内は見えないんです。この頃はまだどうにか見えてた。

言ってしまえば、治療行為自体ができなくなってきている。移植に関しても、実は相当難しいことをしている状態なんです。


私:今回の流産も腺筋症が原因ということもありますよね?


Dr.:腺筋症が原因だったということも充分あり得ます。


私:もう手術するしかないってことですか?


Dr.:うん、、手術をすれば、このコブは取ってなくなるので子宮内はクリアに見えるようになるけども、、腺筋症があったところは正常な筋層ではありません。

手術をしたから必ずしも今後の治療がうまくいくとは言えないけど、手術しなかったらまずうまくいかないと思う。というより、治療行為自体がもう難しい。


私:手術ももう覚悟はしていました。


Dr.:何にしても、もうどうするか決めなくちゃ。これまでみたいに移植を繰り返すか、手術をするとなると、もう予定を決めてその方向に動いていかないといけない。


私:そうですよね。どっちみち、この先いずれは卵巣チョコレート嚢胞の手術も考えていました(わずかな確率で癌化することがあるらしいので)。

腺筋症の手術をするなら、チョコも取ることになりますか?


Dr.:まず子宮後壁からのアプローチになるので、子宮の裏に癒着している卵巣も剥がすことになります。チョコは取るか潰すかはしないといけない。

卵巣機能が弱まる可能性があるので、採卵はもう一度しといたほうがいいかな。


私:もう手術はしないといけない状態まできてるんですね。


Dr.:うん、、とりあえず、今の状態を確認したいのでまたMRIを撮らせてください。



ということで、手術濃厚です。


リュープリンを打ってもレルミナを飲んでも、腺筋症は進行してしまっていました。


まだ正常な筋層が残っているうちに、手術したほうがいいのだと思います。



夫はどうしてもっと早い段階でドクターは手術を強く勧めなかったのかと言いますが、、


私が手術を避けてきた。

私が選択したきたこと。

腺筋症があっても治療ができていたけど、今はそうもいかなくなった。

今だから、この選択に至った。



手術をして、不妊治療お休み期間があって、、

1年は移植できないんじゃないかな。。


そのとき私は42歳。

また年を取り、当初の予定とはかけ離れていく。


それももう、仕方のないこと。

もう、今しかできないこと。


限りある時間を、悔いのないようにやっていくだけ。



まだ諦めたくない。

できることがあるならやっていく!



来月あたまに、MRI画像を持ってまた診察です。

もう少し、頑張ってみようと思います。






去年の話になりますが、こちらの続きです。



遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。



病院に戻り、手術の準備がはじまりました。



手術着に着替え、トイレを済ませベッドで待機。


しばらくすると看護師さんが点滴をしに来られました。




私の通う病院では、採卵も移植も流産手術も全て同じ部屋で行われます。



採卵、移植のときは前向きな気持ちでそこに行くのに…今回は全く違う気持ちで台にあがっています。



右手には点滴、左手には血圧計。

胸には心電図のパッドを貼られ指先には酸素濃度を測る器具を装着。



しばらくするとドクターが2人来られて処置がはじまりました。




お股(膣?頸管?)にも麻酔を打たれ、看護師さんが点滴からも麻酔を入れますねと。



一発目の麻酔では何も変化はなく、、


その次に入った麻酔で目の前がボヤボヤしだして、

最後に入れた麻酔で息苦しくなってきましたが、自分で呼吸を整えるよう意識をしたらラクになってきました。




ドクター1人がお腹の上からエコーを調整しながら、もう1人のドクターが処置をしています。


目はずっと開けていられるし、耳もしっかり聞こえます。


でもお股の方で何か少し痛いことされてるけど、全然気にならない。という感じでした。


はじめて静脈麻酔が効いてる!と思えました。

(全身麻酔の経験はありますが、そのときは秒で落ちた瞬間に手術が終わって起こされた感じでした)




そしていつの間にか手術は終了。



終わった瞬間に名前を呼ばれ、何か聞かれて何か答えたらスタッフの方たちが笑っていたのですが、、そのときの会話や自分が何を言ったのか記憶にありません。



赤ちゃんはもうお腹にはいないとわかっていたのに、手術が終わったことで、全部終わったんだ、、とまた悲しさが込み上げてきました。



その後ベッドに戻りしばらく寝ていてくださいとのことで、麻酔の効果もあり眠っていたのですが、だんだんお腹が痛くなってきて目が覚めました。

トイレに行きたい気がする。



ナースコールをしてお腹が痛いのでトイレに行きたいと伝え、看護師さんが来られてからトイレに行ったけど何も出ない…この痛みは尿意でも便意でもなかったです。



坐薬を入れてもらい、少ししたら痛みがおさまってきてスヤスヤ眠ることができました。



点滴が終わった頃看護師さんに起こされ、トイレに行って水分をとるように言われました。


麻酔のせいか喉はカラカラ。

頭はぼーっとしていました。


その後またベッドで過ごし、診察に呼ばれたのは2時間後。



やはり胎嚢はなくなっていて、手術では血液など子宮内に残っていた組織を吸引しただけだそうです。


一週間後に術後の診察の予約を取り、子宮収縮剤と抗生剤を処方されてこの日は終了。




帰る頃にはすっかり真っ暗でした。



母が迎えに来てくれていたのですが、伝えていた時間より1時間以上早く来ていて、病院で3時間も待ってくれていました。


夜道の運転が苦手な母…

(最近は夜はほとんど運転しません)

対向車が来るたび、白線が見えない!と騒ぐ母のおかげでお腹の痛みも忘れ、ヒヤヒヤしながらの1時間。

生きた心地せずに無事帰宅できました。


そこからさらに実家までは1時間弱かかるので、家に着いたら連絡して!と伝え、母の無事を祈りながら待つ1時間。

ちゃんと無事帰れたようで安心しました。


親も高齢になってきているのに、いつまでも頼ってしまって申し訳ない。

しかも娘の流産手術の送迎なんて、、こんな悲しいことに巻き込んでしまって…

どこまで親不孝なのか。。



それでもいつも私の体調を一番に気遣ってくれる母。

死産や流産は母にとっても悲しいはずですが、言葉や顔には出さず、私が無事なのが一番だからと言ってくれます。

死産したとき、「お母さんは◎ちゃんが死んで悲しくないの?」と言ってしまったことがありました。


「悲しくないわけない。でも悲しんでいるあなたを見るのも、お母さんは苦しい。」


孫が亡くなって、娘が悲しみに暮れているのを見ていた母は、私とは違う辛さも抱えていたのだと思いました。


そんな母に、孫を抱かせてあげたい。

よく、私はそんなに子ども好きじゃないからと言う母も、自分の孫ならかわいいはずよね?笑



と、流産手術の記録からの母語りになってしまいました。



家に帰って、娘のお仏壇へ。


◎ちゃん、そっちに◎ちゃんの弟か妹が行ったんだよ。あ、もうすでに行ってたかな?

◎ちゃん、お空で仲良くしてね。


赤ちゃん、ママのお腹に来てくれてありがとう。

パパとママを選んでくれてありがとう。

お姉ちゃんたちとお空で会えたかな?


みんなー!!

またパパとママのところに戻ってきていいんだからねー!!




次回の診察時(それももう去年の話)には、また今後の治療方針を考えることになるのですが、またそれも記録していきます。





※9週稽留流産の記録です。
出血などのことも書いています。


2024年12月


流産手術の日。


この日は麻酔を使用するため車の運転はできないので、ちょうど午後から出勤だった夫に送ってもらい、帰りの迎えは母にお願いしました。


前回の診察時に、以前の流産手術が麻酔もほとんど効かず激痛だったため

私:いつも採卵の時もそうなんですけど、、
麻酔がほとんど効いてなくて、前の流産手術のときも気を失いそうなくらい激痛だったので、どうにかなりませんか。

とお願いしていました。

2年半前の流産手術↓


(ちなみに、このときはじめに手術してくださっていたのは前々回移植でのモヤモヤ医師。きっと私の子宮ととことん相性が悪そう…泣)



今回は麻酔の量や種類を調節してみますとのことで一安心です。




子宮口を広げる処置のため、朝一番の受付でした。


処置前にエコーで赤ちゃんを確認。


すると、、


Dr.:あれ?胎嚢がないなぁ。


私:えぇーっ!?

(病院でこんな大声出たの初めて)


Dr.:何か塊出ました?


私:前回ここに来た次の日に塊が出たんですけど…でも胎嚢はまだ奥にあるって先生おっしゃってたんで、胎嚢ではないんだと思ってました…


Dr.:出血量とかどうです?減ったりしてます?


私:夜用ナプキンは必要なくらいですが、、そう言われると減ってきてるのかも…?



経腹エコーでも確認してもらいましたが…


Dr.:やっぱりないなぁ。脱落膜みたいなのは見えるんですよね。もう出てますね。あの塊は胎嚢だったんでしょう。


私:えぇーっ!!トイレに流してしまいました、、すくえばよかった…


Dr.:まぁ今日は子宮の中に残ってる組織や血液を出しますので、このまま手術の準備しますね。



といって子宮口を広げる処置がはじまりました。


この感覚はどうしても死産したときのことを思い出してしまいます。


そんなに痛みはないのに、涙が出てきそうでした。




それにしても…

自然排出してしまっていたのは衝撃過ぎました…


確かに激しいお腹の痛みはあったし、出血もしていましたが、、


普段の生理痛がひど過ぎるせいか、そこまで耐えられないほどの痛みではなかったし、バイアスピリンの影響で出血量は多いかもと言われていたわりには以前の流産のときぐらいで、驚くほどではありませんでした。。


それに前回の診察で、


子宮頸管には妊娠組織の塊があって、胎嚢はまだ奥にあるし、取りきれなかったら再手術


とまで聞いていたので、胎嚢は簡単に出てくるわけないと思っていました。


トイレで出てきた塊も、頸管にあった組織だと思い込んでしまって…

赤ちゃんを流してしまった、、
ちゃんと掬って確認すればよかった、、
ちゃんとお別れできなかった、、

と激しく後悔しました。
赤ちゃん、本当にごめんね。。




子宮口の処置が終わり、待ってくれていた夫に衝撃の報告をすると、

夫:えぇっ!?(夫婦で同じ反応)
じゃあもう手術しないの?

私:いいや、まだ中に残ってるものがあるからそれを出すんだって。赤ちゃんとちゃんとお別れできなかったのが申し訳ないよ。。

夫:そうなんだ…でも、〇〇の身体に負担なく出てきてくれたんじゃん。いい子じゃん。

と言われ、涙が…。
 
そうだよね、ママ全然しんどくなかったよ。
優しい子だね。
本当にありがとうね。。

夫:てか、昨日も今日もお腹に話しかけてたけど、もういなかったんだね。

私:そうだよね、虚しいけど、、
もうお空にいるよーって思ってたかな。
なんか、、おかしいね。

と病院の待合で泣き笑いする私。
感情があっちこっち忙しい。

夫は優しく微笑んでいました。



手術はお昼からなので、夫と一緒に時間潰し。

といっても私は絶飲食なので、近くのスタバでコーヒーを飲む夫に付き添い。

私もコーヒー大好きなのですが、移植前から脱カフェイン中でした。
 
手術が終わったらコーヒー飲もう。

でもこの先コーヒーが飲めなくてもいいから、元気な赤ちゃんに会いたかった。。


その後、夫とブラブラしていると病院から予定より早めにお呼び出しの電話があり、私は病院に戻り夫は仕事へ行きました。




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