宇部医大に9月7日に入院をし、9日に右足股間節の人工関節置換術を終えた。
大きな手術は、小学校4年生の時の8月に、当時の小野田市立病院で、骨髄炎を日本脳炎と誤診をされ、18日間の意識不明に陥り、奇跡的に一命をとりとめた。
腰には骨の露出する程の床擦れ(褥傷)が3箇所できており、この治療はリバガーゼを交換するだけであった。
意識回復をした時に、担当医師が両足の甲に 刺されていたリンゲル点滴の針を抜き、簡単な診察をした。
身体の位置を右側に向けて横になると、自然に左足は膝からくの字に曲がり、一切伸ばせなくなり、その足に人の手が触れると激痛に悲鳴を上げる程になっていた。
記憶では、担当医師が病室に来て、受診をして貰ったと謂う事は無く、4、5日して、膝に着く程に曲がった左足には何ら治療も、またその原因説明もされない侭に退院をさせられる。
この足の状態のまま、2ヶ月間を家で過ごす。
母は医師からそう言われたのか?曲がった左足を、日本脳炎の後遺症と固く信じ、隣り近所の人たちにそう説明をし、何ら疑う事も無く、母子家庭の5人の子ども育てる貧しさもあり、病院に連れて行く事もなかった。
骨と皮になってしまった様な、異常な私を周りの親たちが心配をして、何度も何度も熱心に受診を勧めてくれ、長女に連れられて山口労災病院に受診に行く事ができた。
担当医になる金子医師が、姉の説明を聞いて突然激しい口調で
「これが日本脳炎の後遺症であるかどうかくらいは、医者であれば誰が診ても直ぐに判るはずだ。、、、随分と辛い目に遭ったね」
即入院が決まり、車椅子に乗せられて、37人収容の大部屋に入る。
(これからの件は我が著書 幻冬舎 白いカラス-獄道者-少年期 龍王武熾 に書いているので割愛)
これが最初の大手術を受ける事になり、生死の淵を彷徨う事6回体験をするが、その都度危機を脱し、後3回の大手術を残してはいるが、こうして何とか生かされて、今日に在る。
末っ子の息子が小学校1年生の時に、子育ての意見の違いから、妻とは別居になり、4人の子どもらの意思に従って、私が息子3人と娘を引き取り、男親の手一つで育て、息子たち3人は皆それぞれ好き勝手な道を生き、今は絶対に結婚はしないと謂う娘との2人暮らしを送っている。
(今は電子書籍でしか読めない 東洋出版社 獄道者-B級刑務所-番外編 機会があれば、是非一読して頂きたく思います)。