◆図書館本『小松左京/こちらニッポン』を借りた。以前のブログでも取り上げたが、1976年(=中学1年)頃に新聞夕刊に連載された小説。当時は凄く面白く読んでいたのだが、連載途中で親が「とる新聞」を変えてしまったため、自分は続きが読めなくなってしまった。特に「ラストがどうなったのか?」がわからない。ただ、作品中に「朝日新聞社のオフィスでは」みたいな描写が何度もされているので、この時の連載は朝日新聞の夕刊だったものと思われる。このたび図書館で「ハルキ文庫」版を借りられたので、実に50年ぶりくらいにこの作品の結末を読むことが出来る‥‥というわけ。ちなみに添付画像は自分が図書館から借りた「ハルキ文庫」ではなく、それより前に出た角川文庫版である。

 

 

以前のブログでも書いたが、大阪在住の主人公が泥酔して夜を明かしたところ、目が覚めて朝になってみたら「街には人が誰もいなくなっていた」という展開。一体何が起こったのか?そして独りぼっちの主人公はどうしたらいいのか?

この小説のラストに関しては「このラストのオチは賛否両論になると思う」とネットで書かれていた。つまり堂々たる直球勝負のオチではなく、かなり変化球タイプのオチなんだろうな。このたび改めて文庫版で読み始めたところ、序盤の「つかみ」は実に見事である。自分は6月18日(火)の夕方から読み始めたのだが、この序盤の「つかみ」の見事さが幸いし、現在の読書スランプにもかかわらず、500ペ-ジ弱のこの本を100ペ-ジちょいまで一気に読み進められた。正直なところ、そのラストの「オチ」はかなりの変化球勝負であり、「なんだ‥‥こんなにショボいのか‥‥」という形なんだと思う。まだ読了していないが、これは絶対に書いておきたい。つまりそのかなりの変化球勝負の最後の「オチ」により、万人向けにお薦めできる作品ではないのだと思う。よって、まだ自分も最後まで読んではいないのだが、このブログ記事を見て「じゃ、自分も読んでみようかな‥‥」と考えた方々がいらっしゃったら、それはやめた方がいいと思う。ただ、この序盤の「つかみ」は本当に凄い。読み出したらやめられなくなる!‥‥というのは、こういうタイプの小説だよね?‥‥の典型だ。

 

◆旅行というものに全然行っていない。元々自分って昔からそれほど旅行には行かないタイプであり、例えば1990年代の十年間だと、1991年に祖母を訪ねるために親の故郷の岩手県に一度行っただけ。あとは皆無。2000年代に入ってからは、プライヴェ-トでは2004年に岩手県の三陸海岸に行った1回きり(注・このとき宿泊した宿はとてつもなく良かったんだけど、あの2011年3月の東日本大震災で地震と津波にやられて廃業となった。数年前に復活したらしいけど)。あとは職場の出張で九州に5回&オ-ストラリアに2回。他には職場の管理職時代に新人研修絡みで山中湖の辺りに何度か行ったな‥‥。というわけで、大半は職場の出張であり、それを除けば2000年代の24年間では前述2004年の岩手県三陸海岸の1度だけ‥‥って事になる。尤も職場の出張は、ある意味、良かったですよ。交通費から宿泊費まで職場が全額負担してくれる上、更に(とてつもなく安いけど)出張手当まで付きますからね。ちなみに1977年(=自分は中学2年)までは、毎年夏休みに両親の実家である岩手県に家族で帰省。そしてその帰省ついでに、家族で三陸海岸の方に数泊しての旅行がプラスされていたものである。つまり1977年(=中学2年)までは、毎年一度は夏休みに岩手県に出向いていた‥‥ってこと。

さて、自分が旅行に行かないのって色々と理由がありますが、一番の理由は単純に「莫大なお金がかかるから」です。交通費だけでも馬鹿にならないし、何より馬鹿らしく思えるのはホテルの宿泊費なんですよ。前述の通り最近は旅行に行かないので、現在では宿泊費がどのくらいかかるのか知りませんが、一泊2万円くらいはかかるんですか?ただ、旅行に行くと、ホテルって大抵は17時~18時くらいにチェックインしますよね。で、夕食とか朝食はあるでしょうが、あとは部屋で寝るだけであり、そして翌日は朝の10時くらいにチェックアウトとなる。朝10時にはホテルから追い出される。う~ん‥‥つまり宿泊中の大半は「夜、寝てるだけ」なんじゃないんですか?すると「夜、寝てるだけ」のために(今の相場は知りませんが)2万円?これが凄く馬鹿らしく思われるわけですよ。自宅に居れば「夜、寝てるだけ」ならタダなんですよ。それが宿泊費2万円かかる。で、そこに加えて交通費もかかるわけでしょ?となると、自分なんかは「その旅行費で一体CDが何枚買えるんだ?それならCDを買った方がいいんだけど‥‥」という発想になってしまうわけなんですな。というわけで、旅行「そのもの」は決して嫌いではないのですが、なんかもうちょっと出費を安く抑えられぬものなのか?‥‥と思うわけですよ。

ところで大昔の話になりますが、あれは1989年の2月の終わり頃。当時は寝台特急で超人気だった「北斗星」に乗り、独りで札幌旅行に行きました。これも料金的には高かったし、そもそも当時は「北斗星」のチケットの入手が凄く難しかった。自分は知り合いの業者に手を回してもらって何とか入手しましたけど。ところが乗車したのは20時だか21時くらい。寝台特急なので基本的にはこの後は「寝てばかり」になっちゃいますよね。こうして「寝てばかり」なのに、こんなに高額出費になるの?‥‥‥と、自分は馬鹿らしく思いました。だから「寝てしまったら損だ」なんて考えて、「ほぼ徹夜」して寝台特急内の施設をあれこれ使っていましたね(笑)。ロビ-ル-ムの車両とか。ちなみに当時の自分は20代前半。このとき自分は「北斗星」の二段ベッドの下の階だったんですが、上の階にはこの年の3月で専門学校を卒業(つまり4月からは社会人)‥‥という20歳の女性がいたんです。そしてちょろりと話したところでは、彼女は専門学校の卒業記念として「北斗星」に乗って北海道旅行‥‥と考えていたようでした。少しでも節約したかったのか、彼女、晩御飯は持参した「お母さんが作ってくれたお握り」を食べていたのが印象的。いいじゃん、いいじゃん!で、自分はこの女性と一緒に缶ビ-ル数本を飲みながら、一晩中ずっとロビ-車両であれこれ語り合っておりました。当たり前のことですが、缶ビ-ル数本は自分が持ち込んだものであり、彼女にはタダで提供しましたけど。徹夜同然なので真夜中のロビ-車両は他に客もおらず、我々二人だけの「貸し切り」状態でしたね。豪勢だな~。そして青函トンネルを抜けたのが朝の6時頃だったかな?トンネルを抜けた外はまだ薄暗い夜明けの北海道の風景でしたが、どわ~っ‥‥と雪が降りそそいでおりました。この光景を見て、自分なんかはマ-ラ-交響曲第4番の第1楽章をイメ-ジしちゃったりしましたが。ちなみにその20歳の専門学校生の女性とは札幌駅にて「さよなら」です。今みたいに携帯電話だのラインなんて時代ではないので、当時はそうそう簡単に連絡先の交換なんて出来たわけではないのです。ていうか、そもそも今のように携帯電話があったら、まずは携帯のカメラ機能を使って彼女と記念撮影でもしていたところでしょうが。

それにしても、この北海道旅行で一番印象に残っているのは、その寝台特急で彼女と徹夜であれこれ喋っていた事。札幌の街とかは全然覚えていないもんな‥‥(笑)。ちなみに今でもあるのかどうかは知りませんが、その時の札幌での自分の宿は「プリンスホテル」でした。ここに二泊したんだったかな?そして帰りは突発的に千歳空港に出て、突発的に生涯初の(笑)飛行機に乗って東京羽田に戻りました。

あれからもう35年くらいが経つわけですが、さてさて彼女、今はどうしてるかな?

 

◆6月18日(火)は雨降りのため、買い物にも出かけず、自宅完全引き籠もりでの音楽鑑賞。

 

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↓CD。この全集中から第7を。

 

 

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