どうもアマチュアの引きこもりです。いつからかっていうと幼稚園中退後はいわゆるプロ活動して、義務教育開始後は極力引きこもってたのでまあ…アマチュアなら生まれてからずっとていうことになります。そんなだから家にいるのが当たり前で「留守番」という観念がなかったのです、「親が外出してる間オイラはゲームする」みたいな感じ。ある程度年とれば自分も鍵もって買い物とか行けばいいので、「これから留守番をする」というイメージは特にない。

 

でも、幼少のころは留守番というものに特別なイメージを持っていた。そのイメージのまま現在に至るから、あえて「留守番」という単語を使われるとちょっと挑戦的な、工夫を要するような気持になってしまう。

 

っというのも、幼少のころ読む絵本なんかでは子ども向けに留守番を題材にした作品があるわけで、そういう本では子ども目線で留守番の難しさが描かれている。例えば、きっと今読み返せば新聞料金をもらいにきた中年男性が郵便受け越しに子どもと優しい声で会話して、何回か「開けてほしい」という。母から「誰が来ても開けないように」言われている子どもは何度も開けない旨を伝えると「お母さん居ないのね」と去っていった、というだけなんだけど、子ども目線では、両親以外の見知らぬ大人が、自分一人しかいないときに郵便受け越しにこちらを覗いて話しかけてくる…という恐怖!なかなか怖いだろう。ただでさえ親がいない状況で大人と話す機会もないだろうに、一人ぼっちで家にいて…ん?でもちょっとこの話おかしい。郵便受け越しに話なんてするか?絵本を思い出す限りではドアの真ん中に郵便受けがある感じだけど、そんなところ覗いて中を確認する訪問者って結構やばいやつなのでは?しかも新聞料金って引き落としでもよくね?わざわざ払うこともあるだろうけど、がっつり納得できない。

 

もしかして新聞のおじさんじゃなくて泥棒とかで、チャイム鳴らしても反応がないから郵便受けから覗いたら子どもがいて、新聞業者のふりして侵入しようとしたのでは、とか思えちゃう。そう考えだすともう一度あの絵本を見返して伏線が他にないか調べたくなっちゃう。

…僕なら思わず開けてそう。やっぱり子どもの留守番って怖いな。