誕生日を無事迎えられてホッとしているいま、新たな一年を無事に過ごせるよう誓いをたてている。
なんと言っても癌家系(父方)に生まれもっとも長生きしたのは父の67歳。
他の男子親族は50歳台で逝ってしまっている。
普通の人には理解し難い感覚でしょう。
お陰様で元気な母もいるし、自分の夢も追い続けている最中なので発病するわけにはいかない。
定期的に検査を受け体内の異常の有無を監視している。
そんなことを含みながら歩みを続けている。
野球、バレーボール、ラグビー、テニスの流れでのスポーツキャリアを見ると共通しているものはボールだ。
そう、ボールとの相性が良くボールを受け入れる感性があるらしい。
遊びでやっていた卓球やボーリングなども仲間の中では上位だった。
不思議とボールを見ると、目の前にあるそのボールを知ろうとしたり、そのボールの特徴をつかもうとしたり、このボールを利用してどう得点に繋げていけるのかを分析するクセがある。
テニスボールにしてもメーカーがあり、種類があり、空気圧があるか無いかなど様々なボールがある。
試合を意識するならば、そのトーナメントで使用するボールの種類とコート形状がわかればそのトーナメントを意識した練習で利用するボールも違ってくるのではと思っている。
出会ったボールで特異なボールはラグビーだった。
楕円形の形状のボールは着地するとあらゆる方向に跳ね回る。
その後のプレー予測が困難極まりない。
しかし、どの方向にボールが跳ねるかを感性に任せて身体を動かせるか、そしてその確率をあげるために練習があると思っていた。
退部後の翌年、母校は神奈川県代表として花園にいった。
野球部の方は卒業して3年後、夏の県大会の決勝まで進み法政二高に負けた。
中学では卒業しつ2年後に全国優勝した。
このように準レギュラーであってもいつも波に乗れない人生を送ってきた僕の手の中には何一つタイトルがない。
自称スポーツ人間としていま、テニスでなにか形にしたいと考えついたのが弟が住むオーストラリア、学生時代を過ごしたハワイ・ホノルルでのローカルトーナメント出場ということになるわけ。
勝ち負けよりも自分らしく、日本人として恥じないプレーをしてテニスを楽しむ。
約40年間、テニス活動してきての集大成となる。
最終訪問地となるホノルルのコートでラケットを置くつもりだ。
帰国後は時間もあるので多数の友人がプレーしているゴルフをやろうと思っている。
実は小学生の頃、東京タワー近くの芝ゴルフセンター(当時)のレッスンに父から強制的に通っていたのだ。
野球をしたい気持ちを押し潰しイヤイヤ通っていた懐かしい昔話。
『6番アイアン』をとにかく練習しなさいと言われたことだけは覚えている。何の意味があるのか?
あとコースは学生時代にホノルルのパブリックコースに数回。帰国後に茨城のカントリークラブに数回。
その頃はテニスに魅力されていたのでやはり記憶がほとんどない。
とにかくいまは、テニスに励み少しでも自分のスキルをあげていきたい。
健康の上にこれら、やりたいことは成り立つので体調管理をしっかりしていきたいと節目の今、誓いあらたに心に刻まれるものです。