この記事は、病気とは無関係で
私自身の自叙伝的な、ずっと抱えてきた想いを
吐き出す様な形になります。
完全に自己満足な記事ですので
興味の無い方はスルーでお願いします



















正斗がSMEを発症してから約3年



私達夫婦は全力で毎日を乗り越えてきました



旦那は家族の為に仕事に明け暮れ



私は付きっきりの闘病生活



人には、宿命とゆうのか運命と呼ばれるモノがあって



そういう星の下に生まれたんだ…みたいな言い方するけど



私も旦那も、「 親 」 というモノに縁遠い運命の2人



類は友を呼ぶ…まさにこの事



旦那の両親とは、産後間もなく訳あって縁を切り



当初、ひどく傷つけられた私達夫婦



これ以上、人を恨む事は無いとゆうくらい憎みました



旦那は私の名字に養子として入り、今に至ります







そして私の両親…
幼少期に離婚し、祖母と父親に育てられた私



そんな祖母も2年前に他界、今は実家に父親が1人



表面的には仲良くやっているけど



育児の「い」の字も分からない、幼児と接する事も苦手な父



愛情はあるだろうけど、たまにしか会う事はありません



1人が気楽でイイとゆう父の望みで1人暮らしを継続中







そして母親と私は…
大人になって再会し、一時は仲良くしていたものの



長年の確執がついにプッツン



先月、母の方から「さようなら」を告げられました



人生で2度も母親に見捨てられた



も~笑うしかない…



愛情はあったと信じているけど



結局は昔も今も「逃げる」事で解決させる人だったんよね



向き合おうとしない



自分の否を認めない



私がどんなに傷ついても、絶対に謝らない



そしてまさか「さようなら」の言葉が出てくるとは



夢にも思わなかった



本当に辛いとか通り越して、夜通し泣き続けた



一週間くらい、ずっと泣いていた



そもそもこうなった理由に気付いてないのは母親の方



逢う度にお酒が入ると私に暴言



翌日まったく覚えていない



涼しい顔して帰っていく姿を、何度駅まで見送ってきたか



いつもその度に、亡くなったバァちゃんに逢いたくなって



助けを求めたくて、でもいなくて…



必死に1人耐えてきた



母と最後に逢ったのは去年10月



傷ついた私の心なんて知る由もなく



毎度のごとく時だけが過ぎた



離れていてもお酒が入ると



自分は辛い人生だったって…自分が自分が!って



いつも娘の私を電話で何度も責めたてた



どんな男と、どんな人生歩んできたか知らんけど



どんな理由があったにしろ、幼い我が子を手離し



ろくに子育ても経験しないまま



ただ私の倍、人生を生きてきたとゆうだけで



私にしたら、ただ酒癖の悪い母親



良い部分なんてもう見えなくなってしまった



私の心が、修正の利かないラインに到達してしまった



生んでくれた母親



何があっても大好きだったのに



ずっと仲良くしたかったのに



私が想う母親像は、もう何処にも残っていない



しょせん、もう、二度と会う事の無い人



とゆーか、会うつもりも無い



今度とゆう今度はもう、許すつもりは無い



血の繋がった母親なのに、二度と会う事は無いって



本当…不思議なもんだ



こんな数々の不和を生じながら



私も旦那もそれぞれに、親との決別を誓い



たった2人きりで、我が子の難病に立ち向かっています



こんな2人が出逢って結婚した事



必ず何かの意味があるんだろうなと



そして、その2人を親に選んで生まれてきた正斗は



きっと何か素晴らしいモノを



私達に届けに来てくれたんだと



いつも心に言い聞かせ



私達の生きる糧になってくれています



辛く苦しかった幾つもの出来事



心の傷は一生消えないけど



自分の運命をようやく受け入れ



こうやって文章に残そうという気持ちにまでなれた



私は絶対に逃げたりしない



何があっても、大切なモノを守り抜く



辛くて苦しくて、ブレてしまいそうになる日もあるけど



今日、ここに



母親としての決意を誓わせてもらいました










私事の記事に最後までお付き合い下さり
ありがとうございます