2/4 朝7時過ぎに長女とバイバイ。
不覚にも涙が込み上げてしまった。
いつも別れる時はビッグハグして、涙はグッと堪えるのに、今回は堪えられなかったよ💦歳もあるのかな…なんだか凄く寂しかった😭
気丈な長女もうるうる🥹


長女の遠征先はオシエクという街
2/4長距離バスで9時間掛けて移動予定だったのだけど、また変更で2/5飛行機で移動となった。
もっと早くの分かっていればもう少し一緒に居れたのに😭

先にスケジュールを立ててしまっていたので、夫と次女と私の3人は一足先にスプリットを後にすることになってしまった😭
呼んでいたUberに乗り込み長女に見送られ、長距離バス乗り場へ向った。


長距離バスでおよそ4時間揺られ
ドブロブニクという街へやってきた。

少し前まで、
上の地図に記したように、スプリットから長距離バスでドブロブニクへ行くには、ボスニア・ヘルツェゴビナの国境を一旦超えなければならなかった。
今回は長女とは遠征で別れてしまったたけど、長女が周りの人に「『ドブロブニクは絶対に一度は行ったほうがいい!』といわれいるから行ってみたい!」と言っていたので一緒に行く?と声を掛けてみた。
ところが現在長女はビザの更新手続き中で手元にクロアチアの就労ビザと更新手続き中という書類も無いため、ビザ無しでクロアチアを出ることは危険なので!行かないでおくと言っていた。
まぁ、どちらにせよ遠征移動あるし一緒に行くのは今回は不可能。私達3人で行くことになった。


2/4 ドブロブニク 旧市街
調べました!
ドブロブニクの誕生は614年、西ローマ帝国が崩壊したことにより異民族が旧帝国領に流入していて、その襲撃から逃れるためにツァブタットを離れたクロアチア人の到来によって、集落 は広がった事が起源。

ドブロブニクを取り囲む城壁は全長1940m高さは最高で25m
ドブロブニクが城壁に囲まれたのは街の誕生間もない8世紀から16世紀にかけての大工事によって
1979年にはその歴史的価値が認められ世界文化遺産として登録されます。
しかし、1991年以降のセルビア・クロアチア内戦により甚大な被害を受け、同年、危機遺産(危機にさらされている世界遺産)として登録されることになりました。現在は、ドゥブロブニクの人々の懸命な努力により元の美しい街並みに戻りつつあるそうです。が十分すぎるほど美しかった。



城壁全長2km弱を1、2時間かけて見てまわるスポットですだけど、半分しか回れませんでした。
「アドリア海の青」と「旧市街のオレンジ屋根」を一望できる眺めはすばらしいのひと言✨
 

特に城壁でもっとも高所に位置する「ミンチェタ要塞」からの景色は絶景です。





写真をちゃんいいのがない。
左上はスズキのなんか?
左下グリーンラビオリ
右ブラックラビオリ

城壁の中の街は夜も綺麗でした





2/5 スルジ山へ
標高412mの山へ1時間掛けて登りました。
山頂は旧市街を一望できる息を呑むほどの美しさでした✨



まだ途中でもこの景色🥰

スルジ山の中腹あたり



山頂の十字架
独立戦争後に建て直されたものだそう


下山してこの日もイタリアン
本当はピザが食べたかったけど無かった😭

おやつは
クレープのようだけどパンケーキ
左 レモンシュガークリーム
右 チョコバナナクリーム


この旅でまた
バイオリン持ち人発見😳
今回はお子ちゃま🤩
なんか可愛いな〜声を掛けたくなっちゃうね何弾いてるのかな?


クロアチアの時刻で、
2/6朝7時に長距離バス停に向かうバスに乗り、8:00発の長距離でスプリットヘ戻りました。
そこからタクシーに乗りスプリット空港からフランクフルトへ


先ほどフランクフルトに到着し乗換の待ち時間です。
4泊6日弾丸でクロアチア長女に会いに来る旅は終わりです。
お米が恋しい🍚


2/6夜羽田空港に到着します。


帰国後、ゆっくりブロともさんのところへ伺います。

フライト時間が長いのでコメントはお休みしますね。

では本日も読んで頂き
ありがとうございましたカエル

おまけ
床が回るという前代未聞の公演らしいです。
面白がって動画が送られてきました🤭