三ツ矢サイダーの歴史について
1881年(明治14年)、イギリス人の化学者ウィリアム・ゴーランドが、兵庫県多田村平野(現:川西市平野)の平野鉱泉を飲み物として「理想的な鉱泉」として認めたことで、炭酸水の製造が始まりました
1884年(明治17年)に「三ツ矢平野水」(みつやひらのすい)として販売されました
平野水は、夏目漱石の『行人』『思い出す事など』にも登場し、1897年(明治30年)に宮内省から皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)の御料品として採用されました
1907年(明治40年)にサイダーフレーバーエッセンスを使用した「三ツ矢」印の「平野シャンペンサイダー」を発売し、1909年(明治42年)に「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称しました。
当時の価格は10銭でした
その後、1952年(昭和27年)に人工甘味料から砂糖に切り替えて「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」に改称しましたが、「シャンパン」の名称はシャンパーニュ地方で生産された物以外に使用できず、1968年(昭和43年)に「シャンペン」という名前を削り、正式名称が「三ツ矢サイダー」となりました
当時の価格は40~45円で、子どもにも安心して飲ませられる清涼飲料水としてアピールしていました
現在では無色透明の三ツ矢サイダーですが、最初の頃は黄色っぽい色をしていました
三ツ矢サイダーは、130年以上の歴史とともに、長く愛され続けているロングセラー商品です
世界的に有名な黒い炭酸飲料の発売が1886年の5月。
それよりも先に発売されていたんですね
大正天皇が飲まれていた頃の味って、どんなんなんだろう