玄真録〜シネマガイド〜 -5ページ目

玄真録〜シネマガイド〜

映画について更新して行きます。

何を観るか迷った時に参考にしたり、一度見た事のある映画の整理などに参考にしてください(^^)

映画をあまりみない人は「オススメ」のカテゴリーを参考にして見てもらうと嬉しいです(^^)

$玄真録
<ストーリー>
舞台は幕末、文久二年の品川宿。佐平次は仲間を連れて遊郭旅籠の相模屋で豪遊する。しかし無一文でお金を払えない。散々遊んだ挙句に仲間を帰して金が無い事を店の者に打ち明ける佐平次。支払いが出来ない代わりに居残りと称して相模屋に住込みで働き始める。そこから佐平次は女郎同士の喧嘩、客のクレーム、おまけに攘夷派の長州藩士高杉などと交わるなど、相模屋のいざこざを手際よく解決していく。いつしか佐平次はお店にとって無くてはならない存在になり、みんなからも信頼されるようになった。しかし時折変な咳をする佐平次。お金も貯まってきたしそろそろ潮時だと店を出ようとする。そんな矢先にまた客の対応を頼まれる。

<感想>
 ストーリーは大雑把にしか書いていないが、この中にはたくさんの出来事が入っている。それもそのはず、この映画は落語の「居残り佐平次」という噺から主人公をとっている。他にも「品川心中」、「三枚起請」、「お見立て」などの落語がこの映画には登場する。それらの噺と幕末の混沌とした世界観を織り交ぜつつ、我が道を生きていく佐平次を面白おかしく仕上げている。この世界観がたまらない。見れば見るほど味のある映画です。ちなみにキャストで石原裕次郎なども出ている事が注目を集めますが、脚本には当時31歳の今村昌平も参加しています。面白いわけですね。
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<スト-リー>
 主人公のマクマーフィーは暴行罪などで刑務所に入っていたが、刑務所から逃げるために精神病を装って精神病院に入院してきた。その病院では看護婦長が患者のスケジュールや発言の権利まですべてを管理し、個人の自由は無く、みな無気力な毎日を送っていた。それに対しマクマーフィーは院内で賭けをやったり、投与された薬を飲んだ振りをして捨てるなど病院の定めた秩序を片っ端から壊していく。最初他の患者達は決められた生活を望んでいた。しかし、グループセラピーでワールドシリーズを見たいと提案するマクマーフィーを初めて他の患者達が支持する。それは決められた規則を破り、自由な権利を主張する事を意味していた。彼らも少しずつマクマーフィーの自由を求める生き方に感化され、それぞれに自我が芽生え始めてきたのだ。
 ある日、マクマーフィーは無断で患者達を外に連れ出し、釣りをするために船で海に出て行く。患者達もとても生き生きとした表情で楽しんでいるが、当然病院側は首謀者のマクマーフィーと他2人に対して電気ショックの罰を与える。その時今までしゃべれないと思っていたインディアンのチーフがマクマーフィーに対して初めて口を開いた。彼はずっと他人に心を閉ざし、しゃべれない振りをしていたのだ。それを知ったマクマーフィーは二人でこの病院を脱走しようと提案する。そしていよいよ脱出決行の夜が来る…

<感想>
 精神病患者のことをカッコーと言う。つまりカッコーの巣とは精神病棟のことを指す。この映画は作られた時代背景(1975)がものすごい影響しており、いわゆるアメリカン・ニューシネマの代表作の一つである。アメリカン・ニューシネマは60年代後半から70年代にかけて製作された反体制的人間を描いた作品で、ハッピーエンドが少ないのが特徴。
 個人的に精神病棟で実際に行われていた非人道的な治療や、予想外のラストなど衝撃的な印象が残る映画だった。主人公を取り巻く患者達は個性的で面白く、皆いい年の大人たちだがまるで青春映画を見ているようなすがすがしさがあった。
 ちなみに自分はバックトゥーザフューチャーのファンであるので、科学者のドク役だったクリストファー・ロイドがこの映画で精神病患者役で出演していたのがうれしかった。
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<ストーリー>
 父の死を知らされたルオ・ユーシェンは故郷である中国華北部の小さな山村に帰ってきた。老いた母は父の死を嘆き悲しみ、生前父が教師をしていた学校の前で悲観していた。母は町に安置してある父の遺体を、昔ながらの風習に従い担いで運びたいと言うが、村には担ぎ手となる若者はいない。村長に母を説得するように頼まれたユーシェンも母に諦めるように話すが頑として聞かない。そして母は父の棺にかける布を織り始める。そんな母を見てユーシェンは若き日の父と母の出会いについて思い出す。
 その昔、村に初めての教師が都会からやってきた。名前はチャンユー(若き父)。まだ学校も無い村では校舎を造る事から始まった。チャオ・ディ(若き母)はチャンユーに一目ぼれしてしまい、建設中にはお昼のお弁当を彼に食べてもらいたい一心で作ったり、校舎が出来てからはわざわざ彼の朗読の声を聞くために家から遠い井戸へ水を汲みにいく。この時代はまだ自由恋愛などありえなくて、ディの気持ちに気づいた盲目の母は身分が違うからと諦めるように諭す。それでも諦めきれないディは彼が帰る道で待伏せを始める。彼もディの気持ちに気づきお互いが意識しあうが、チャンユーは町からの呼び出しで急遽帰る事になってしまう。村を出る前にもう一度ディの家に寄り餃子を食べる事を約束するが、チャンユーは使いの男と急いで村を出なければならず約束を守ることなく馬車に乗る。ディは急いで餃子を包み後を追うが追いつくはずも無く、足がもつれてコケてしまう。彼との思い出の皿は割れ、唯一貰った簪もなくしてしまうディ。それから冬休み前には帰るといった彼を町へと続く道で待つディ。

<感想>
 パッケージを見ても分かるがチャンツィーがとてもチャーミング。本人の美しさももちろんあるが、中国の四季の色合いや、少女の着ている赤い服などの色彩的構成技術がとてもヒロインを美しく感じさせた。それに現代をモノクロで撮っており、過去の2人の恋はカラーとなっているところも2人の愛が崇高な物へと昇華させている。この二人の恋は誰も邪魔する事ができないほど神聖な感じさえする。
 面白いのは男の方をほとんど描いていない事。文化大革命時代でその時代の流れに巻き込まれているはずのチャンユーについてはほとんど描写が無い。それどころか、村にいる時でさえほとんど彼女を主点に撮っている。両方からバランスよく撮っていない事が初恋のもどかしさを強調させている気がする。
 見終わった後に暖かくなる映画です。