主人を亡くして6年経ちますが

初めて

グリーフサポート

わかちあいの会

というものに参加させて頂きました。


話す内容など深く考えず

“その時感じたことを話そう”

と思っていました。


その日は主催の方を含め

3人という少人数でした。


自分の話す番になったとき

今までたくさんたくさん涙を流し

年月も経つ為

今日は涙を流さないだろう…

と思っていたんですが

主人のことを話すと目頭が熱く

自然と涙が溢れてきました。


死別後の小さなエピソード一つも

涙無しでは語れなくて

まだ私の中にこんなに悲しみが

溜まっていたことを

知る機会となりました。


今回参加して

大切な方を亡くした悲しみを

みなさん持っており


亡くなってから月日が経過すると

悲しみを語る場が減ってしまうこと。


亡くなったとう

事実は変わらないこと。


生きる活力がわかないこと。


大切な人を亡くしたのに

笑える自分に腹が立つこと。


などそれぞれの思いを

聴かせてもらうことができました。


グリーフサポートの場へ

足を運ぶことも

勇気を振り絞って

来られる方が多いと伺いました。


1人ひとりにそれぞれの悲しみがあります。


その悲しみに

寄り添い合える場所は

大切な存在を亡くした方には

『死』(喪失感)

という一つのテーマで

繋がることができる時間が

存在することを知りました。


閉めていた悲しみの

蓋を開けられる一時の時間。


蓋が閉まっていることにさえ

気づかず生きておられる方も

いらっしゃるのではないかな…

と感じました。


亡くしてから

現実的に年月が経過していても

私の中に悲しみはあるのだと

流れた涙が教えてくれました。


“大切な存在が亡くなった”

という変わることのない事実の中で

こちらがどの様に生きていくのかが

問われているように感じました。