心の在り方家の近くに中学校があり散歩の帰り道部活でテニスをする学生の姿が目に入りました。部活の思い出はそれぞれ。目にした子ども達の活動する姿と自分の持つ部活の記憶。子ども達の様子を見つめる中で本来部活って楽しむ為に存在していたものだったのだと気づきました。部活に限らずですが誰かを苦しめるために生まれたものって無いのかもしれません。誰かが喜ぶため楽しむために生まれたもの達。受け取り方次第でそれは真逆にもなります。心のあり方次第でそれはどちらにもなるのだと感じました。