何かをしてもらうだけが愛ではないと気がついたのは主人を亡くしてからです。
主人が生きていた頃、我が家は共働きの核家族でした。。
私は、主人と結婚したばかりの頃は、料理や掃除が何もできない人間でした。
共働きだったけど、帰宅が遅く、土日も忙しい主人は、家のことは一切やらない人でした。
だから、いつのまにか料理も掃除も子育ても家のことがほぼ全て1人でできるようになっていたんです。
ほぼ全てのことができるようになり、
これからの未来を描き始めた頃、主人は亡くなりました。
『僕の役割はここまでだよ…。』
そんな言葉が聞こえたように感じました。
主人の行動は、私が生活の自立できるようになる為のものだった。
その行動は、意識からくるものではなく、無意識領域からくるものだったのではないかと思われます。
でも、そのおかげで、シングルマザーとして生活する中で、大変なことはたくさんありましたが、困ることは何もなかったんですよね…。
全て私の為だった。
そして、それは後に互いの為でもあったのだの気づくことになったのです。
言葉や行動だけを見ていては、決して気づくことができないもの。
愛は、“まさか”と思う行動の裏側に隠れているのだと気付かされた出来事でした。