いつからついた癖なのか自分でもわからないものを先日見つけた。



それは、娘の近くに置かれていたものを



『取って欲しい。』



と伝えた時、バランスを崩した娘が、息子の作ったブロックの作品にぶつかって壊してしまった。



それを見た息子が、激怒し喧嘩になった。



その時、私は



『ママが、取ってきて欲しいって頼んだの。ママが悪かったね。ごめんね。』



と息子に謝った。



それは、今までも何度も口にしてきた言葉だ。



いつもは気にならかった自ら発した言葉に

その日は、すごく違和感を感じた。



あれ?



私、悪くないよね?



娘の近くにあるものを

『取って欲しい』

と頼んだ。

それを取ろうとした娘がバランスを崩して

息子の作ったブロックに

“たまたま”ぶつかって

壊してしまった。



事実を見れば、ただ偶然が重なったっただけで、誰も悪くないじゃない…。



それなのに私は、

“この喧嘩の原因が自分にあるから”

と自己犠牲を発揮し、謝ることで

その場を丸くおさめようという行動を取っていた。



この思考は、日常の中で当たり前になりすぎていて、気づくことができなかった。



いったい今まで、このパターンを何度繰り返してきたんだろう?



今回の小さな事故を未然に防ぐためにできたことも考えた。



⚫︎私は娘に頼まず、自分で取りに行けば良かった。


⚫︎娘は、足元をよく見て歩けば良かった。


⚫︎息子は、大事なブロックの作品なら、机や棚の上に置いて壊れないように気をつければ良かった。




一人ひとりが少しずつ気をつければ防げたんだ。




いつも意識していることは、物事を両掌にすっぽりととおさめて、いろんな角度から見つめていくこと。



それが、少し上手になったから、日常化している思考癖にも気付けるようになったんだ。



大丈夫。

ちゃんと前進しているよ。