息子がお友達とぶつかってしまったようで、目の下に大きめの傷を作って帰ってきた。
園の先生からも、『飛び出してきたお友達とぶつかってしまって…』と説明を受けた。
帰りの車の中でいつもより少し元気がないように感じた息子。
足りない物があり、買い物へ行くと
『お菓子買っていい?』
と息子が聞いた。
実は、本日2回目の買い物。
子ども達のお菓子は既に買ってあった。
だから、本当は、足りなかったものだけをパパッと買いたかった。
でも…
『いいよ。それから明日は、お弁当の日だね。デザートは何がいい??』
と聞いた。
『メロン🍈!!』
嬉しそうな声。
本当は、デザートもりんご🍎が買ってあったんだけど…。
今日を怪我をした痛かった日で終わらせたく無くて少し奮発した。
夜、1日を子ども達と振り返るとき、
“痛いこともあったけど、嬉しいこともあったなぁ”って思ってもらいたかったから。
息子と2人になった時、
『今日は、どんな1日だった?』
と聞くと
『お友達とぶつかっちゃったけど、◯◯くんやみんなと遊べたし、すごく楽しかった。』
と話してくれた。
息子の言葉を聞いて、息子は怪我の後にも自分で楽しいを見つけることができていたんだと知った。
息子の痛みを自分のことのように感じ、痛い1日で終わらせたくなかったのは、私の方だったんだと気づいた。
息子の怪我をした顔から少しでも笑顔が見たくて、お菓子やデザートを買った。
それは、私の心を満足させたかったからだ。
誰かの為だと思って取った行動が、結果的に自分のためになっているのだと気づきを頂いた出来事となった。