注意:ネガティブ度高い内容ですが、今は楽しく生きています!

 
 
 
2020年12月31日早朝。
とても寒い日でした。
私が寝ている時間に母が年賀状を出しに行き、外で脳出血を起こし倒れ、近所の人が警察に知らせてくれた。
 
救急車で運ばれて、その日の午後に緊急手術となる。
幸い、一命は取り留めたが左半身の概念が無いという、健常者の私には理解出来ない状態になった…。
 
2013年から始まった母との生活も7年。
東京に来たばかりの頃はすごく元気だったのに、気が付いた時には歩くのもやっと、少し認知症っぽい感じも出ていた。
私と暮らし始めてすぐに「東京の人は電車の中でみんな疲れきっているね…。」と言っていた。今思うと、そんな母も東京の何かにやられたのかもしれないし、父が急死して寂しかったのかもしれない。母をもっと気遣うことが出来れば良かった…。
 
それなのに、私はそんな母に苛立ち、厳しい会社での仕事に疲れ果て、ウイルス騒ぎも手伝って、いつも不機嫌だった。
そして母との関係がとても悪くなっていた矢先の出来事だった。
 
 
母が倒れて初めて、今までの自分の愚かさに気付き、お正月の三が日を泣き暮らした。
なんてヒドイ娘だったのだろう!
子供の頃に優しくしてくれた母や、身を粉にして働いてくれてた母を思い出しては泣き続けた。
食事も喉を通らず、目だけではなく顔も腫れるほど泣いた。
 
 
母が倒れたのは、私のネガティブ思考のせいだ!
高齢だから、遅かれ早かれいつかは来たかもしれないけれど、完全に負のループにはまっていた事を自覚した。
「お母さんとは離れなさい」
数年前のセラピストさんの話が甦る。
 
 
年金暮らしの年老いた母に独り暮らしをさせるなんて出来ない!
って当たり前に思っていたけれど、もし離れていたらどんな展開になっただろうか?
今の私は、どっちを選んだとしても正解も不正解も無いし、その時の自分に出来る最善を選んだ。と思えるようになったけど、当時の私は罪悪感にまみれていた。
 
 
 
今日はこの辺で終わります。
読んで頂いてありがとうございます。