「あの日」から1週間が過ぎました。もう現実のことと諦めなければならないのに、未だに信じられない、信じたくない自分がいます。

 

私が大使館に行った23日。この日は最終日であり、夜の8時まで献花の受付が行われていましたが、ツイッターなどで大使館から、東京タワーが見える外苑東通り沿いにまで長蛇の列が出来ていた写真を見て、胸が熱くなってしまいました(ノ_・。)昼間に訪れた際も実感したことですが、本当にたくさんの人に愛されていたスケーターだったんだと。きっとデニスは喜んでくれたと思いますブーケ2

 

お借りしますm(._.)m

デニス、見ていますか。こんなにたくさんの人々があなたを好きだったんですよブーケ1キラキラ

 

あの日から、時間が許す限り(休みの日はほぼ一日中)彼の演技映像を狂ったように見まくり、インタビューが載っているフィギュア雑誌を読んだりしました。そこで、今回と次回2度にわたり、彼が抱き続けた夢と大輔さんについての思いを語ったインタビューをお届けしたいと思います。World Figure Skating No.66に掲載されていたものです。

 

 

僭越ながらフィギュアファンの方ならば今一度、そして「あの報道」で誤解を受けられてる方でまだ彼のことをよくご存知ない方には、この機会にぜひ読んで戴きたいです。五輪直後の彼自身をありのまま語っています。2014年のスケートアメリカ(10月23日~26日)終了後の現地でのインタビュー全文の前半です。

 

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-ソチ・オリンピックで銅メダルを獲得され、その後休養をとることなく今シーズンの競技に戻ってきましたね

 

「スケートアメリカに参加してよかったです。初戦になるはずだったネーベルホルン杯では胃腸炎のせいで何もできなくなって、棄権せざるを得なかった。ローマの病院で検査を受けたりしたので、ようやく練習できるようになったのは今週に入ってから。ここでも完全な体調とは言い難い状況だった。でも、プログラムがどんなふうに受け止められるかをチェックできたし、試合で滑る感覚を取り戻すことができました」

 

-今季のフリーはとてもユニークな作品ですね

 

「振り付けのローリー(ニコル)と僕とはすでに4年以上一緒にやってきていて、とても深い結びつきがあり、僕たちだけの創作のやり方があります。僕たちはいつも最初からアイディアを分かち合いながら作品を作っている。このプログラムはたぶん自分史上で最高の作品になったと思います。音楽が素晴らしいし、この作品に取り組むたびに魔法がかかったような気持ちになる。これをクリーンに滑って、もう一段階上に進みたいと思います」

 

-中国琵琶やパーカッションなど、異色な楽器の響きに彩られていますね

 

「曲はシルクロード・アンサンブル(世界的名チェリスト、ヨーヨー・マが1998年に立ち上げた「シルクロード・プロジェクト」を母体として活動するグループ)によるものですが、面白いことに僕はまさにシルクロードの真上で生まれたんです。僕の生家がある通りは今でもカザフ語で「絹の道」と呼ばれています。このことは大きなインスピレーションになりました。新しい世界を旅していくノマド(nomad=遊牧民のこと)を描くことが作品のテーマ。僕自身の人生にも似ていて、僕はカザフに生まれ、練習のために早くからロシアに移り、それからロサンゼルスに移った。楽な道のりではありませんでした。フリーを滑るたびに、作品のテーマと自分とが近いことが実感できて、それを観客に届けたいと思うんです。この曲はおそらくこれまでフィギュアスケートで使われたことがないと思う。アジア、ヨーロッパ、北米、いろんな演奏家が参加していて、楽器も各国のものが使われていて、とてもインターナショナルでマルチカルチュラル(multi-culutural=複数の文化(が融合した)な曲。僕も国際的で様々な文化と触れ合ってきた人間だから、曲を理解し自分のものだと感じることが出来るんだと思います」

 

-21歳という年齢と比して、大変長い選手生活を送っていますね

 

「見た目は若いけど、僕中身は年寄りなんです。多分55歳くらい(笑)」

 

 

-五輪銅メダリストという肩書を手に入れた今も、競技に向かうモチベーションはどこから湧いてくるんですか

 

「昨シーズン(2013-2014)は困難の連続でした。自分がリアリティショーの番組に出ているんじゃないかと思ってしまうくらい、色んな事件が起こった。僕、ソチでは左右違う靴を履いて演技したんですよ。オリンピックの氷に立つだけで大変な試練でした。まるで暗がりで手探りしながら大切なものを探すような気持ちだった。だから表彰台に乗った時も、格好つけるわけじゃなくて、本当に何も感じることが出来ないくらいだったんです。ただ両親のためにメダルが獲れたと思っただけでした。辛抱強く一緒に歩んでくれたフランク(キャロルコーチ)のため、僕の母国カザフのために(メダルを獲得出来たことは)嬉しかったけれども、僕自身は何も感じなかった。その心境がソチの後何週間も続きました。1年間休みを取った方がいいだろうかとフランクと話し合ったくらいです」

 

「カザフに帰ればやることは色々あるし、カザフ・ブリティッシュ工科大学でMBA(Master of Business Administration=経営学修士)課程を履修しているし。でも、フランクとローリーがいつも僕を支えてくれた。僕は東洋のメンタリティの持ち主だから、自分の真情を誰彼なく喋る質ではありません。聞き手に回る方が好きだし、障害は黙って一人だけで乗り越えたい。でもローリーになら、普通では話せないことも話せる。彼女に本当の気持ちを話して、ずいぶんと助けてもらいました。こうして競技に戻ってきて、良かったと思います。だから僕のモチベーションは、僕を信じて支えてくれる周りの人々だと言えると思う。カザフではスケートを始めた子供たちが大勢います。僕は彼らの道しるべにならなくてはならないという責任を強く感じているんです。それは競技を通してしか見せることが出来ない。もう僕は自分のためには滑っていません。他の人々への手助けをしたいんです

 

-それはもともとの性格も関係していますか?

 

「説明できないんだけど、そういう性格に生まれついたんですよね。子供の頃から周りのことばかり考える子だった。何か理不尽なことがあれば立ち上がって戦うけど、周りに泣いている子がいるとハッとして、駆け寄って慰めずにはいられない、というような。とにかく周りの面倒を見たい質で、スポーツには向かない性格かなぁと思うこともあります。もっとエゴイスティックじゃないと、勝てないですよね」

 

ここまで半分くらいです。次回は2014年5月に彼がカザフスタンで開催した「Denis Ten & Friends」について、2022年の冬季五輪母国開催実現に向けての夢、大輔さんの想い出について語ったインタビューをお届けします(^-^)