2023.04.16

 

一帯が桜柄の絨毯のようで、またひとつ春が通り過ぎていくのをしみじみと感じています。

 

仙台に来て3年。長かったようで、短かったような...

 

気づけば地図を見ずに移動できるようになり、おすすめの場所なんてのを紹介できるほどに成長しました。

 

3年間も同じ地で勤しむと、最短で帰社する道のりなんてのを熟知している。

 

事務所に帰りたくない時は、わざと一本余計な道を通ったりと...要は遠回りするんですよね。

 

 

時間が経つのは一瞬で、楽しい思い出も、嫌な思い出も、今思えば過去の一部にしかすぎない。なんてことは、重々わかっているつもり。

 

でも我々は、今立たされている状況について、過去との良し悪しを比較するんです。

 

過去に囚われている時間なんて無いって危機感を片隅に感じながら。

 

でもそんな危機感には、ニワトリの記憶と同じくらい、留まることを知らないんです。

 

記憶の容量とは別に、過去に縋る理由は何かって考えてみました。

 

”楽”なんですよね。

 

あの時こうしたらとか、なんであんなこと口にしてしまったんだろうかとか...

 

過去の出来事の判断は、迷うことはないし、過去の道のりは熟知しているから、どの道を通ったらどんなことが起きるかってのが把握できてる。

 

 

青森県八戸市に異動になりました。

 

新天地での生活は、なんだかんだ新鮮で、慣れ親しんだ土地では感じられないものがある。

 

それが良いのか悪いのかが判明するのは、もう少し先の話になりそうだけど...

 

人間は面白いもので、どんな領域でも、長く同じことに従事することで、その環境に慣れて勝手に”当たり前”を作り出します。

 

今の仕事が辛くて嫌で嫌で仕方なくても、少し時間を経過すると、それは当たり前に進化して、今の環境環境から抜け出す方が、億劫な気持ちを作り出す。

 

まさしくその類に支配されている気がします。

 

たくさんの過去に寄り道して遠回りしてしまうことの恐ろしさも感じつつ...

 

慣れっていうのは怖いもので、人は誰も変わることを心の底では恐れていて、今日も明日も本当のことを言えば、ここにとどまり続けたいんです。

 

慣れ親しんだ土地では、なんとかタワーとか、あの薬局とか、目印があるから自分がどこにいるかすぐ把握できる。

 

コミュニティーも然り、あの人のパーソナリティはこうだから、こう接しよう。何か困ったらあの人に相談すればいいや。とか。

 

 

初めて、八戸の夜道を走った時、すごく寂しく感じました。

 

今思えば、そこには見慣れた景色がなく、自分の進むべき道がわからなくなってたからかも。

 

ただ今の現状に満足していないという、漠然とした悩みがあるのなら、新天地を求めて自ら行動しなければならないってのもよくわかる。

 

その先に、実家の最寄りのインターチェンジを降りた時のような、安心感、暖かさが待っているかもしれないのだから。

 

過去の心地よさ、未来への不安に苛まれながら、知らない道をあと何回歩けるのかという期待感を抱き、ゆっくりでも前に進むとします。

 

スパシバ。