熱海へ


もう一度、熱海へは行きたい。

二年前そう言って、ついに叶わなかった。

熱海神社へはほぼ毎年行っていた。神社のお守りを貰って二人で持っていた。

(ちなみに熱海神社は源頼朝と北条政子がかつて信仰していた神社です。頼朝亡き後、政子が自身の髪を使い作った曼陀羅が残っております)


三年前はコタが亡くなって私が動けなくて行かずじまいだったので、訪れるのは四年振りになってしまった。

縁結びのご利益はあったのだろう。最期まで傍にいて、看取れたのだから。


久々の地は駅前が整備されたりして、少し変わっていた。土曜だったからか人も賑わっていた。駅を少し離れれば、変わらずの街並み。

タクシーの運転手さんによるとそれでもあまり景気はよろしくないらしい。

驚いたのは、閑散としていた神社に人が多かったこと。テレビで紹介されてパワースポットになったらしい。若い人が多く、新しいお守りが出来たりしていた。

人は少ない方が落ち着くのだけど、財政難を知っていたので、神社にとっては良い事だ。


懐かしいという感慨は不思議となく。人はあまり目に入らず。馴染みが深いからか、記憶が色褪せていないせいだろうか。

おみくじを引いたら、過去は忘れ進みなさいという和歌があり苦笑してしまう。

嫌ですと頑なな己れが拒む。

訪れたのは密かな目的を果たすため。

後生、一蓮托生を祈るのは、神社には相応しくないのだろうが、この地が二人の深い思い出の場所なのだ。

彼と結婚することがあったら、ここで二人きりでいい、ひっそり式を挙げたいと私が夢見た事もあった。

彼は落ち着いたら、ここに家を買って二人で暮らしたいと常々言っていた。

どれも叶わないまま、一人になった。


汗だくになりながら、ある目的を果たして海まで階段を下る。

ここで野生の猿を見て驚いたことがあったが、最近は猪まで出るらしい。

途中で、桜の落葉を集める御婦人に行き交う。挨拶ついでに話していたら、二十四から結婚もせずに一人だと言う。器用に作られた袋に猫を抱いてのお出かけ。猫を本当に可愛がっていた。

話ついでに、彼のことを話したら心底いたわって下さった。お達者でと握手をして別れる。この地の人は優しい人が多い。


そのまま海まで降りて行って、海岸縁でしばし休む。海を見たら飛び込みたくなるのかとも思ってだけれど、海と波の大きさに思い描いていた後追い方法は少し難しいかとも考え込んでしまう。飛び込むだけならたやすいだろうが。

出来ればあの世の近くへと遠く遠く西に向かって死にたい。遺骨を抱き海の底へと。


日暮れまで時間があったので三島まで足を延ばすことにする。こちらは何も変わっていない。水の多い街。

一千年あまり生きている(確か)金木犀は花が終わってしまっていた。ついぞこの花は見られないのかもしれない。

以前は境内に占師がたくさんいたので見てもらいたかったのだが、追い出されてしまったのだろうか、姿がなかった。

夕方だったからいなかっただけかもしれない。残念に思いつつ、参拝して帰路についた。


流石に疲れ果てた。帰って来てから茫然とした日々が続き、身体が動かない。

けれど、身がまえていたよりは思い出の地は悲しくはなかった。

というか何も感じなかった方が正しいか。

彼の気配を少しも感じられず、悲しかった。




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