世の中機械化が進み年々便利になってきているが、人々は、余計に忙しく時間に追われているのは何故だろうか
便利になるということは、人間の本来の能力である、発想力や考える力を取り戻すことであるはずである。
しかし、現実は逆になっている。豊かな生活を維持するためには余計に働かなければならないからだ。その根底には、物や金銭が、人の生活を豊かにするという価値観がある。
本当に物や金銭が生活を豊かにするのであろうか。古代の人々は、不幸せだったのだろうか
少なくとも、もっとゆったりとした生活を楽しんでいたようにおもわれる。
幸せ の評価、判断を改めて考えてみたい。
質素だが、心豊かに過ごし(怠けるのではなく)ゆったりとした時間の中で生活していきたいと思う。
1月から、スマホ、タブレットを購入して、活用している。長らくガラケーであったため、光通信、ワイハイ、アンドロイド等事前知識がなく、基礎から勉強しているので苦労してる。とても便利な処が多いが、ある程度慣れるまで、使いこなせるまでが大変である。 使うと楽しい面が多いので、長時間使用しやすいが、人間の大切な能力(発想力、理解能力、コミニケーション能力等)の向上の妨げになるので、1日一時間以上は使用しないようにしている。 あくまで、スマホは、生活する上での道具であるので、自分に必要な限度で、使用することが大切であろう。
小生は、自称 むかし人間 である。
価値観が古く、現代の便利な社会生活に、懐疑的である。
便利なことは、利点も多いがマイナスの面も多いと考えている。
実際、人間自身の能力は、昔の人のほうが高かったのである。
便利になり過ぎて、考えることをしなくなってきているからである。
紀元前の哲学者以上の人が出てきていないのをみれば明らかである。
小生が日常生活で心掛けているのは、次のようなことです。
1、パソコン、スマホなど、電子機器は、必要最小限しか使用しない。
2、本を読んだり、物事を考える時間を出来るだけ多くしている。
3、食生活は質素にしている(自炊)
4、人と話したり、議論をするようにしている。
5、一日に一時間以上は、運動をしている。
6、金銭や物に固執せず、時間を大切にしている。
7、芸術に触れる機会を多くしている。
一言で言うと、おこがましいですが、質素で心豊かな生活を心掛けています。