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気がつくと、「ハートなきスピリチュアル」になっています。目に見えないエネルギーを探求するあまり、一番大事なハートのことを置き去りにしている人がどれほどいることでしょう。目に見えないものがが見えているからといって、それはハートが開いている証にはなりません。それとこれとは別なのです。ハートを開かないまま、何のためのスピリチュアルでしょう?ハートがない人が集まったら、、、
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大事なのはシステムではなく、自分のメカニズムの方です。自分のテクノロジー、自分の生き方が大事なのです。ほんとうに地に足をつけたところからもう一度見直せば、次元転換も素粒子転換も近いといえるでしょう。それは自然を離れて起こることではありません。
人間を支えるものに酵素がありますが、その酵素の世界はまさに原子転換の世界です。動物の死骸が見つかりにくいのは、次元転換が関わっています。人間の死体も消えることがあって、棺の重さが前日と打って変わり、「あれ?軽くなってる」と言うことがありますが、棺を開ける勇気があれば確認できるのではないでしょうか。
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人間にとって、原子転換、素粒子転換、次元転換と言うのは、いたってナチュラルなことです。
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◉自分の中に自然を感じるエクササイズ法
(これも一種のダブル・アテンションかもしれません)
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ときどき、自分の脈を感じてみます。脈を感じながら、自分の呼吸をみつめます。必ずこの2つを同時にする必要はありません。
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あらゆる場面で脈が取れるように、自分で実習示してください。食欲にしても、調子が悪くて食欲がない、食べなくても調子がいい、といように色々なケースがあります。同様に脈も、一日5分でも、あるいは2〜3分でもいいので、ただ自分の脈を知ってください、そして、その時の呼吸を観察してください。
そのうちに体調を崩す相当前の段階で違和感をキャッチできるようになります。「あれ?」と思うと、調子の悪くなる最初のポイントをとらえたことになり、そこをとらえると、人間の身体は治癒に向かいます。「何かおかしいな」と感じても、それにとらわれる必要はありません。
自分の体調だけでなく、天災、人災もわかるようになります。これはいわば当たり前のことで、動物は自然にそれをとらえています。「脈」は、宇宙のリズムを自分の中に取り入れている証といえるでしょう。
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このエクササイズをしていくと、自分の脈と呼吸が、平常時は心地よいサウンドの様に聞こえてきます。逆に、調子が悪いときは、なんとなくノイズにとらえられます。その能力は誰にでも備わっていて、エクササイズすることによってよみがえる事が起きるのです。
乱れたり、整ったりというバイオリズムが宇宙で有ることをまず知っておくのがいいでしょう。そのなかで、「自分が対処すべきことは対処していく」というスタンスが必要です。
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オーソドックスな「脈」のとり方は、手首の動脈と、左右の頸動脈の計3箇所を同時にとる方法です。脈はごまかしがききません。
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以前、アメリカで飛行機に乗った時のことです。脈が「乱れ打ち」をしたので、これはダメだと思い、飛び立つ前に機体を検査してもらい、爆弾が仕掛けられていたことを、発見したことがあります。
危険を感知して、自分ひとりだけキャンセルするのは気が引けるうえに、一緒に乗るはずの人たちが真っ暗に見えたので、これは最後まで働きかける必要があると、、、、
ことが解決した後、真っ黒に見えていた人たちは普通に戻りました。
運命を転換できるものはしたほうがいいという例でもあります。
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自分の脈に親しんでくると、自分で触ってすごくよくわかる個所というものを発見できたりします。脈は非常に面白いです。
誰でも潜在的な力(ポテンシャル)をもって生まれてくるのですから、それが現れ出るのは極自然なことです。
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◉トンレン
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チベットの行(ぎょう)にトンレンというものがあります。トンレンには、受けとったり、与えてたり、という意味がありますが、ダライ・ラマ十四世も毎日実践されているはずですし、数々のリポンチェ(チベット仏教の高僧の総称)もずっと継続し実践されています。
トンレンとは、外なる世界に感じるあらゆるネガティビティを吸いとることです。どこに?自分のハートにです。
古代のチベットの人達は、ありとあらゆるネガティビティを自分の中に入れて、吐きます。
その教えの本当の意味は、「ハートはもらったままのイミテーションにしておくのではなく、日々の営みの中で本当のハートを知りましょう」ということです。
その為この行には、初心者はまず自分の最愛の人から始めましょうという教えが伝わっています。
最愛の人を設定して、最愛の人からブラックタールがあふれでていることを思うのです。
ブラックタールは、その人が抱えている憎悪や嫉妬といった、思いつくかかぎりのありとあらゆることです。それをハートの奥で吹き込みます。最初は咳き込む人も出てきますが、そこで言うのは「それはハートではないですね」です。
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ハートは何ものによっても傷つかず、何ものによっても壊されることのない場所です。大宇宙の根本にそれがあるとするなら、ハートは仕組みではなく、存在基盤です。それは物質ではないし、絶対に傷つくはずがありません。苦しくなるというのは、まだまだ物質的な自分のところ、マインドブレイク、或いはボディブレイクの段階です。「こんなに苦しんでいるということは、違うんだ」と理解して奥へ奥へ行くと、「ハート」という名前をつけたくないくらいの「それ」があります。
自分の「それ」で最愛のひとの「それ」に触れることができたら、触れた人にしかわからない経験となるでしょう。これが行たるゆえん、うまくいこうがいくまいが、やる、ということです。ただひたする自分が何者であるかを知るためのものです。
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生きていれば色々なことがあるのがこの三次元です。そんなかで色々なことを見破っていくために、あえて引き受けるのがトンレンといえるでしょう。
トンレンを習うとき「ネガティビティを吸ったら、きれいになって出ていく」と教わるのは、その方が安全だからです。
この行をつづければ、ハートを知ることができるでしょう。そのとき、日頃、生きている所は物質界だということがわかり、生きることの錯覚に気づくはずです。
日常、生きているのは仕組みの部分であり、そこから本当のハートに触れることができたら、仕組みははじめて逆転し、素材たちもマインド的ではないものに変わっていく可能性があります。
自分の生活ごと「それ」に浸かって試してみるのです。そうしたら、そこに物語ではない本当の起源というものがあるのがわかります。
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ポイントとなるのは、今ここに生きて、本当のハートは絶対に傷つくことがないとい真実です。それが自分にもあり、使わなければ、ないも同然だということです。ただし、相手のネガティビティを引き受けることになると、偽善的になってしまう可能性がありますから、気をつける必要があります。
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トレントをやっている人がいるから物質界が滅びずに済んでいるという感覚は、まじめな話しとしてあります。そういう事を無償でやっている人がいなければ、逆に、世界は非常に危ういのではないでしょうか。
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◉トンレンのやり方
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自分の一番大切な人を思い浮かべて、呼吸をハートに入れ、吐きます。そのとき、思い浮かべている人からあふれでるブラックタールが、五分ほどできれいになっていくように感じられるのがいいです。一日五分くらいからスタートしていけば、だんだんに育っていきます。一人ひとり、自分のステージでやるのがいいでしょう。
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最初は一番大切な人を対象にトンレンをこおないます。その人が一人でそれほどネガティブになることはありませんから、おそらくその人の住んでいる市町村という地域、あるいは会社にもネガティビティがあると気づくでしょう。そのとき、トンレンの対象は、その人のいる地域に変わります。その地域が、たとえば都道府県のレベルになったとき、その中には自分もの含まれてくるかもしれません。自分も含まれているエリアに対してトンレンを行えている自分を、偉いと思わないことです。
自然にやっていけば、自分もその人の都道府県に住む一人であり、トンレンしている自分は、エゴの自分というよりも普遍的な自分であり、そのうちに、トンレンが普遍的な瞑想に変わっていきます。最終的には地球のトンレンとなるでしょう。これがチベットに伝わる秘伝です。
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◉瞑想について
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瞑想を教わるときは、自己流でやるよりは、指導してもらう方がいいでしょう。そして、教わるときは、師と一緒に座ってやります。一緒に瞑想することで、
微妙なバイブレーションが伝わり、共振共鳴が起こるからです。本を読んでやってみようというのは、あまりお勧めできない方法です。
瞑想を教わる相手というのは、やはり相性があります。「この人ならいいかな」くらいで選ぶのがいいでしょう。そもそも瞑想はテクニックではなく、表面にあることよりも、沈黙の伝達が膨大であり、深いところからシンクロするものだからです。
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最終的には師が弟子を選んでくれます。縁です。あわてず、時間をかけて探していると、必ず師の方が選んでくれることが起きます。
瞑想の目的は幅広くありますが、まずは自分のバランスをとるためというのがあるでしょう。思考に偏りがち、肉体に偏りがち、感情に振り回されがち、といった具合にいろいろありますが、そのバランスがきっちりとれるようになることがまず大事です。そうした自分特有の思い込みや癖など、あとづけで身につけたものをきれいにはがしていけます。いってみれば、そこまでは準備です。
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ニュートラルになることは、そのあと本格的な道を歩むかどうかに関係なく、人生にとってすごくいいことです。
悟りの道を求めていないのであれば、一度、ニュートラルな状態がわかれば、あとはその状態をキープするだけでOKです。
自分にあった瞑想を十五分〜二十分くらいするだけで大丈夫です。
本当に大事なのは、シンプルになっていくことです。自分がシンプルになっていくと、転換が起こる可能性があります。
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◉個が光る世界
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ボディ1個が私というところに照準を合わせて生きていると、そこにあるのは社会です。ボディ1個の私は、テクノロジーを使って地球が丸いことを発見しました。
ボディ1個の私から、細胞1個の私に意識の基準を変えると、ボディが消えて、血管や神経を発見します。細胞1個から見た神経は、地球1個くらいの大きさかもしれませんが、そこが世界になりました。もはや地球も宇宙もはや把握できません。細胞1個の私では、たぶん、宇宙は発見できないでしょう。
逆に地球1個の私に拡大したら、ボディがあまりにも小さくなって、再び消えました。地球1個の私になったら、視野は宇宙の方へと向き、おそらく今の望遠鏡が見えている世界とはまったく別の世界が展開していることでしょう。宇宙を別の世界ととらえているに違いありません。
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地球1個の感覚も事実であれば、細胞1個の感覚も事実です。全部同じ世界にありますが、どこにチューニングするかによって、すべてが変わってしまいます。
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基準が変わればドラマも変わり、価値観も変わり、全部変わってしまいますが、唯一、変わらないものがあります。それは意識です。意識が眺める世界は変わっても、意識そのものは変わることがないのです。
ドラマと同一化しないで、意識をもったまま生きて聞くと、架空であるこの世界を、架空だからこそ実感できるようになります。これはドラマなのだととらえることができるようになると、ドラマをないがしろにしないで、ちゃんと味わうことができるようになるのです。実感できると、さらにおおもとが一つだとわかるようになります。そのとき、物質的なボディではなく、本当の個をとらえることができるのではないでしょうか。
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「I AM(アイ アム)」を充分にわかって、「I AM(アイ アム)」に溶け去って、全宇宙に溶けさったあとに、終わりが訪れるのではなく、個を知ることが始まります。それは、かけがえのない個です。一人ひとりがそこに向かったときに、この世界はすごくよくなると思います。
個にこそ光があたる必要があります。一なる次元あってこその個ですから、一なる次元をくぐったあとは、個を光らせるべきなのです。個を光らせる場所はこの世界しかありません。この幻想の場所が、個を光らせる場所です。
アセンデッド・マスターと呼ばれる存在たちも、この世界に登場するときは個をまといます。ラマナ・マハルシのような存在でも個をまとうのは、そうすることで、この世界の人々がその存在を認めて、そこに何かしらを感じることができるからです。しかし、そこで感じとる本質は個ではありません。それを見て、「自分の本質は個ではないんだ」ということを、個は思います。
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◉私たち人類がめざすもの
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現実界に意識がありながら潜象界にも意識があり、三次元であることがわかりながら生きていくのは、言葉にするのは簡単でも、簡単なことではありません。自分の一番しっくりくる分野で取り組んでみるのがいいでしょう。
潜象界はとらえようとすれば遠くなる世界ですから、意識の何処かで「そうなんだ」と思うことことはものすごく大事です。
究極をいえば、自分から世界が始まっているわけですから、意識がすべてといえます。そして意識は、「意識を成り立たせているところ」から来ていて、それが広大で何もない世界だとわかっているのは非常に重要です。
光を求めれば求めるほど、ないがしろにされるものが出てくるのは、ごく自然な現象だと理解しておくのも大事でしょう。
マザー・テレサの最期は、いちばんいいエピソードがあります。
「そうか、私が最期にハグしなけるばならないのは悪魔かもしれない」そして、マザー・テレサは悪魔とハグをしました。
「悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね」
やはり裁く自分がいたからです。清く活きるということのなかに、どこか否定する自分がいたのです。
だから最後に反対の自分がやってきました。自分には悪夢に見えたけれど、ハグすることができて、本当の統合が起きました。
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ときとして、自分に襲いかかってくるものは、デフォルメせずにそのまま観る必要があります。そのまま見ることで、統合される場合があるのです。
統合されていくと、たとえ幽霊屋敷に行ったとしても、単純にスリルを味わうだけのものになります。スリルを味わうのは快感の一つであり、喝破できれば楽しみに変わります。
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本当のヒーリングは、みずからの気づきによって起こります。人がひとに干渉する部分というのは限られていて、病気はただ治ればいいものではなく、ただ病気を忌み嫌えばいいものでもありません。老をだめなことだと思うことでもありません。起こることは自然に受け入れていき、そこまでの気づきが得られれば、この三次元というのはものすごくいい世界だと思います。
人間の叡智は、生きれば生きるほど極まってくるものであり、わかりあってくるものです。どんな立場にいようと、私たちは死ぬまで現役です。大事なものは私たちの中にあり、そこに触れていくことで、静かな革命が起こせます。そうやって時代は開けていくのではないでしょうか。
地球とはそうやって開けていく場所です。本当の平和は、「争いのない社会」をというスローガンを打ち立てることではなく、自分の中にある大事なものと共振していくことによって実現していくものだと私は思います。
お楽しみさまでした。

