すだちわかめ渦潮響仁
「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」




試合がしたい、勝ちたい!


かな?





猪木さんにならないといけない




アントニオ猪木は、「いつ 何時、誰の挑戦でも受ける」と言っていました。
猪木は、「いつ 何時、誰の挑戦でも受ける」と言っていたのに
なぜ、前田日明の挑戦を受けなかったのでしょうか?



当時の坂口征二副社長より、1986年3月26日にシングルをやると発表があったのですが5対5のイルミネーションマッチに変更されました。
後のいろいろな文献によると、前田がまわりの自分の知人・関係者にこの試合でシュートで猪木の腕を折ると言いそれが猪木と新間の耳に入りました。
猪木としては前もって前田がそういうつもりで来るのなら、こちらもシュートで迎え撃つしかなく、やれと言われればやってもいいが、当時のゴールデンタイムの地上波でそんな試合を流すべきではないとの判断で中止にしました。前田にはUWF時代に観客の前で佐山にシュート仕掛けた前科があった為というのもあったみたいです。

猪木の肩を持つ訳ではないですが、相手の腕を折るとか目に指を入れるとかは猪木の方が平気でやれるし、そのような経験を実際してます。
タイガージェットシンの腕折はギミックでしたが、有名なペールワンやパクソンナンにサミングしたり腕を脱臼させたりの他にも日プロ若手時代のアメリカ武者修行中でも、相手レスラーがシュート仕掛けてきて反対に目に指入れたりとかの経験は猪木のほうが上ですし、そう言った面では前田のほうが常識人だと思います。猪木は天龍とのシングルでも観客に分からないように容赦なく本当に指を折ってます。

また、試合をするリングは新日のリングでレフリーも新日ですのでヤバイって思ったら試合を止めてしまうとか、いろんな意味で猪木側で自由自在に前田を料理することができましたし、そう言った面では当時の猪木と前田では猪木のほうが1枚も2枚の上だったと思います。
こういった状況を踏まえ、新日とUWFで事前に試合の取り決めの話合いはしたそうですが、前田が負けブック(前田の強さにキズがつかないよう猪木の卑怯なクイック勝ちとか)を最後まで呑まず、いよいよ本当にシュートになり兼ねないとなり最終的に中止になりました。
また、猪木も含めたマッチメーカー側の都合でいうと、当時どちらが負けてもどちらも損するだけという判断があったらしいです。新日としては前田を負けさしたらUWFは弱い軍団ということになり、それで対UWFのアングルで興業を引っ張れないし、前田を新日の役員にして将来的に猪木の後継者としたいという思惑もあり、そういった面でも前田を負けさしたくはないし長州達の大量離脱で猪木にはまだまだトップとして君臨してもらわなくてはならず、猪木が負けた場合その当時の前田ではマニアのファンはともかくテレビの一般視聴者にたいしてはまだまだ団体トップの貫録ではないとのことで、新日側も前田にも負けて欲しくはなかったとのことです。

ちょっと前、総合格闘技で青木がテレビ生放送で相手の腕を脱臼させたことがありましたが、前田は青木に直接対談で「お茶の間で家族がテレビみてるのに、そんなことは絶対やってはいけない。プロとして失格だ。」と戒めてました。
前田も当時の猪木ぐらいの歳になり、いろんなもの背負う立場になって当時の猪木の思いが分かったのではないかと思いす。
若いときは猪木は俺から逃げたってよく言ってましたが、後にはそのことを言わなくなってます。




と載ってました


さすがアントニオ猪木ですね


ガチンコで勝負で非情になれて、やってしまうんですから…


燃える闘魂


ですね


燃えるわかめ〜


にならないといけませんよ