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次のステップ

今日は5回目のワークショップで、ポートフォリオを2冊持って行きました。

この写真の上がOTHERSで下がPLACES


1冊目は、自分の大好きな東京から少しずつ故郷に戻っていく「PLACES」。

2冊目は、同じく写真を撮りためた9月から、上記のポートフォリオに入らなかった「OTHERS」。


そこで先生に言われたこと。


「とてもいい写真だよ。これなんて、とても美しい。でも僕は、君があまり好きではない「OTHERS」

の方が好きだな。 僕が思うのはね、写真とは、いい写真、キメ写真というのだけではなくて、

理由はないけど「ただいい」と感じるもの。もやもやしてて、答えはないけど、いいもの。という

のがあっていいと思うんだよ。 写真に答えなんてなくていいんだよ。


「これがいい写真だよ!」ってキメ写真を見せるのではなく、人に「いい写真だな」って感じてもらう

余裕を感じさせる写真を撮ってみたら?

写真って、撮る人と見る人とのコミュニケーションのツールでもあるからね」だそう。


すごく衝撃だった。というか、最近私がちょっと壁にぶち当たってたこと。

見てくれる人とのコミュニケーションからかけはなれたところに行こうとしているのではないかということ。


元々私が写真を始めたのが、「私がいい」と感じた瞬間を、誰に気兼ねをせず、私の意志で

シャッターボタンを押し、それによって気持ちを解放させることにあった。というのもあるけれど。

そうやって1年近く撮ってきて、もうその役割も十分果たせたような気もする。


今度は先生のおっしゃるとおり、私の内側に向かっている写真ではなく、

外側に向かっている、私がうつしたかったものと違うものを想像させたり、

人の気持ちを共感させたり、そんな余裕のある写真を撮りたいな・・・・。そんな風に思いました。


そのためには、先生は「シャッターを押す瞬間にあまり細かく考えない。とにかくいいと思ったら

どんどん押していくことがいいよ」とおっしゃっていました。

もちろん計算された美しさもあるけど、偶然性の美しさは素晴らしいって。


今まで私はどちらかというと、計算された美しさを狙っていたけど、今度はもっともっとたくさんの

写真を撮って、偶然性の美しさというものに触れてみたいな。って思いました。


そのためには、やっぱりカメラ買おうかな。

最近GX200にちょっとだけ飽きてきちゃいました(笑)