あの日から10年が経とうとしているのかあ…神社に行かなきゃな、ということで、新潟の街なかの大通りからちょっと入った場所にある寄居諏訪神社に参拝。

こちらの社号標を揮毫したのは、三条出身の陸軍大将・鈴木荘六。

陸軍士官学校ではなく陸軍教導団という下士官養成機関を出て軍歴を開始し、大将までのぼりつめたという努力の人。当時の県民にとってはヒーローだったことでしょう。

 

明治12年に新潟市に編入されるまで、こちらは寄居村といいました。

戦国時代の文亀(1501~1504)年間に、落ち武者の7氏族が寄り集まって開拓した村だったため「寄居」といったそうです。

 

鎮守として、大正15(1926)年には村社に列格しました。

 

平成2(1990)年「御大典記念」に奉納された狛犬です。

 

がっちりした風貌が印象的です。

 

御祭神の建御名方命(タケミナカタノミコト)は、開拓と武勇の神。もっぱら武家の篤い信仰を得た歴史があります。

 

扁額を揮毫した松野篤義という人は、大正初期に新潟地方裁判所長を務めていました。

 

「新潟之古社」という表現がいいですね。

 

御祭神の建御名方命が美少年キャラになった見開きの書置き御朱印もあります。

 

境内社の福一稲荷神社です。約230年前に伏見稲荷大社から勧請しました。

明治41(1908)年の大火でいったん消失しましたが、翌年には再建されました。

 

福一稲荷大明神の御朱印をいただきましたよ。

 

東日本大震災から10年が経ちますが、あのときのことを思い出すと、直接の被害がなかった自分にとっても、ほんとうに死生観が変わるぐらいの衝撃でした。大災害のさいに役に立つものと役にたたなくなるものがあったし、周りには激変する環境にふんばる人もいればいなくなる人もいました。それぞれの事情はあるにせよ、ほんとうに困ったときに助けてくれるのはどこの誰なのか、組織と組織、地域と地域、国と国の関係でも見えてきましたし。

また、悲しみや怒りを正しく言葉にすることもたいせつですが、あえて言葉にしないことも、それと同じくらい難しいことだと思います。いずれにせよ、苦しいときに手を差し伸べてくれた人々には、感謝を忘れることなく接したいものです。

ちょっと硬かったね。なんかね。