宗吾霊堂に来ましたよ。

義民・宗吾(佐倉惣五郎、本名・木内惣五郎)は、承応元年(1652年)に、凶作と佐倉藩による重税に苦しむ農民を救うため、当時禁じられていた将軍(4代・徳川家綱)への直訴を実行し、大勢の農民を救いました。

しかし当時、直訴はとんでもない重罪だったため、宗吾は4人の子どもたちとともに処刑されました。宗吾父子の御墓。

 

「宗吾霊堂」は通称で、正式には鳴鐘山東勝寺という真言宗豊山派の寺院です。桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定した際に建立したとする伝承があります。こちらは大山門です。

 

義民・宗吾の事績は、江戸時代に実録本、さらに明治期に入っても歌舞伎、講談、浪曲などで「佐倉義民伝」として大ヒットしました。

 

 

 

大本堂です。雨模様でもあり、新型コロナの影響もあってか、人影はまばらであります。

 

「宗吾霊」の額を揮毫したのは、徳川宗家第16代の徳川家達(公爵・貴族院議長)ですね。

 

御朱印をいただきました。右上の白文は「宗吾霊廟」、左下の朱文は「宗吾霊堂之印」と読めますね。

日本じゅう、いまはウイルスへの対応に追われてたいへんなことになっているんだけど、世のため人を救うために命がけで闘っている人に、感謝や敬意を払うことを忘れちゃいけないんだと思うんだわ。えらそうに言うつもりはないんだけどね。