こーばーでぃす。
さっきまで就学金援助に関する書類で貸与を希望する理由を書いていました。
毎回、変な挨拶をして人一倍どーでもいーようなことかいてるような奴ですけど、母子家庭で生活保護うけてるような家庭の子供ですからね。
こういうのの申し込みは兄という先輩がいるんですが、兄は先生となんども書き直しをして出したそうで…。
まぁ、5教科で一番苦手な科目が国語の人だからしょうがないか。
いや、英語だったかな?
どっちにしろあてにならない。
なんかお母さんは言ってることずれてるし。
なんか理解力ないな。
家の家族は。
オジサンにアドバイスをもらいました。
オジサンも父子家庭だから先輩。
でもやっぱり、いくらアホでも現役だから直してもらったやつの文法がおかしいのくらい気がついてしまうわけで…。
ちょっと気を使ったよ…。
文法がおかしくならない程度にアドバイスを適用させて頂きました。
なんかまだ後日、また違うのも書かないといけないらしい。
んー、なんとかなるだろ。
私はこのブログでなんとかなる、を、よくつかう。
たいがいなんとかなる。
国語の先生は学年朝集で
『なんとかなるのはやった奴だけ』
って言っていた。
先生が言った言葉がそのとおりだ、と感じなかったのは始めてかもしれない。
確かに、やればやるだけなんとかなる確率は上がるだろう。
が、やった人でも何とかならないこともある。
第1、なにがなんとかなるのか。
その話の規模にもよるだろう。
なにもしなければなんとかならない。
そう一言で決めてしまうには広すぎる話ではないだろうか。
例えば、突然、何の準備もしてない状況で、いわゆるアドリブというものがあったとき、何とかなっている確率のほうが高いのではないだろうか。
その反対に、長期戦。
例えば、受験などではやればやるほど確率は上り、先生のいっていることは一理ある、と考えることも出来る。
結局のところ、何とかなったかどうかは自分が決めることで、なったんだと思えばなったことになると思う。
だから、なんとかする。
と、まぁ規模がでかくなりましたが、私が置かれている状況の言い訳かも知れませんね。
お粗末様でした。
m(_ _)m 種璃