こんにちは。セイジの部屋にようこそ拍手

過去の思い出・出張記を記載します。

どうか最後までお付き合いください。

 

2019年の9月9日出発の自分自身の出張記を過去のデータから呼び起こしました。

台風15号のちに、令和元年房総半島台風と命名されました。

 

では、はじまりはじまりびっくりマーク

 

台風をまともに受けて天津へ

 

第1章 天津出張は甘くない!

 

久しぶりの海外出張で胸もときめいたが、何と出発日に台風が来ると言う

予想ではないかびっくり仕方なく9月9日出発予定の北京行のフライトに乗る為に、

上司の許可を取り、台風の前日に羽田付近のホテルに宿泊することになった。

今回の任務は、グループ会社の教育を目的とした出張である。

ほとんど頂きの仕事であると思ったのが災難となったのである。

 

気象庁の予報は見事的中で、関東を直撃、夜中ホテルではガラスが割れん

ばかりの突風で熟睡も出来ず早めにホテルを出ようと5時30分にロビー

に降りた。ところが、ロビーは人だかり。聞いてみると羽田旭町付近

(ホテルから空港方面メイン道路)の工事現場の足場が道路に散乱して

道路をふさぎ不通となっているとの、情報が入ってきた。ホテルロビー

では、約30人ほど送迎バスを待っていた。

 

タクシーを呼ぼうとしたがどこもダメ、公共機関も不通で、ただ送迎バスの

到着を待つすべしかなく、路頭に迷っていた。

要領の良いちょい悪オヤジ(私は)は30人の群れの中の先頭から3番目の

位置に陣を取り送迎バスの1代目に乗ることができた。

 

適当に歩いていき30人の群衆の先頭の人に、皆さんバスを待っているのとか、

いろんな雑談をし先頭集団にうまく紛れ込んだのである。

これが、ちょい悪オヤジのテクニックです。

 

バスで空港までの移動中には大きなトランクを引きながら徒歩で空港まで行く

姿もしばし見かけた。本当に台風とか自然災害は怖いです。

空港では、スムーズにチェックインも終り、ラウンジでくつくつろいでいたが、

出発時刻になってもアナウンスが無い、おかしいぞショボーン

変な胸騒ぎがした。遅延となってしまった。ガーン

この時の便名はNH961ゴロ合わせではないが、苦労が一杯(961)ですね。

 

第2章 新しい出発のアナウンスが無い

 

10時30分過ぎても新しい出発時刻のアナウンスが無い、ちょっとむかつく、むかつき

もう少し我慢するか、10時40分位なったら催促するかな。

全然だめだ、何もアナウンスもねーよ。頭に来たから催促しに行ったら地上係員

の話では、機材に積む食事が間に合わないので待っているとのことはてなマーク

これは時間稼ぎのがせねたです。物申す

結局11時40分に急遽アナウンスが入り12時5分出発となり、パソコンを急いで

片付けラウンジから機内へと移動した。

もうすでに、待ち時間にラウンジで飲みすぎの状態であった。

 

第3章 異国の地、北京空港に到着

 

*北京空港から天津は陸路で現地の会社が手配した車で移動となっていた。

 

機内では、サントリーのハイボールを頂き、いつの間にか珍しく寝ていた。

何だか、飲んでばっかりいる、ちょい悪オヤジでした。

何か、時間の空白が有ったみたいな感じもした。北京空港は約16年振り位で、

現在は首都空港と呼ばれている。空港自体も別の場所に有る空港だった。

 

イミグレーションの前に10台ぐらいの機械が置かれてあり外国人はこの機械で

パスポートをスキャンしてOKと書かれた紙を、受取りそれからイミグレーション

ゾーンへと向かうシステムであった。イミグレーションに向かうと、既に混雑

して40分もかかった。

 

イミグレーションから手荷物受取までがさらに遠く空港内のシャトル電車に

乗らなければならない。2か所の乗り場があり、係員がどちらでも同じだと

中国語で言っていた。こんな言葉ぐらいは特に問題なく聞き取れた。

しかし、いくら待っても私のホームには電車は来ない。

やられたと思い他の人達と違うホームへ流れていき何とか手荷物受取まで、

たどり着くことができた。

 

ターンテーブルで流れる自分の荷物は人込みで見えない状態であった。

ここは中国と思い一応(プーハオイース)すみませんが、と言いながら、

人込みをかき分け、自分の荷物を手に入れることができた。

ここまでで、着陸して飛行機からでてから、1時間30分もかかり、

もうくたくたと思いきあ、今度は迎えに来てるドライバー探しだ。

とんでもねー人だかり、ドライバーを見つけるのに10分もかかり

何とか出迎えの車に乗れたのである。

 

第4章 天津に向かう

 

天津までは約2時間30分のドライブだと言われ、一応心を落ち着かせ車の

シートに命を預けた。天津までは約2時間30分のドライブだと言われた。

後で聞いた話だが、出迎えの運転手は北京空港で台風で遅延している事が

連絡されておらず、4時間以上待ち続けたみたいだ。過去、中国出張で

ウルムチに行った時は、飛行機が遅延した時、出迎えの車の運転手はすでに、

どこかに消えてしまって、自力で目的のホテルに移動した経験がある。

まあどこの国に行っても、こんなものだと自分に言い聞かせるのである。

 

今回の運転手は、安全運転で時速100kmぐらいで無茶な運転はしなかった。

道中面白い事があった。それは高級車ポルシェのおねーさんが、料金所近くで

運転しながらバナナを食べていた。さすがに笑える光景で、バナナの食べ方も

少々下品でこんなねーちゃんがポルシェ乗るのかよと、がっかりしたのである。

こんな光景を見ながら天津までのドライブはその後面白くもなく、安全に天津の

ホリディインホテルに到着した。ホテルには、弊社の天津工場の工場長が出迎え

に来ていた。彼は台湾人で、以前台湾工場で働いた事もあり気心は知れていた。

 

ホテル到着後は、工場長と夕食に行ったと言ってもホテルの中のバーベキュー

食べ放題レストラン。しかし時間がまだ7時40分頃なのにで食べるものも

品薄であった。本当に疲れた1日でした。

 

第5章 天津ショップでの教育

 

教育第1日目は、座学を1時間程度その後、実技実習へと流れ、何とかスムーズ

に進んでいた。

午前の部では、中国語は聞いても知らない振りをしていた。天津ショップの今回の

教育対象者は7名だけなので、午後からは友達感覚で、特に日本人だからと言う

扱いもされず、和やかに会話(単語だけの知っている中国語)ができたのである。

 

しかし、この日にとうとう私の正体がばれてたのである。

あなたは何処で中国語を勉強しましたかと探りを入れられたのである。

実際には、中国語は以前台湾に駐在する前から、出張で中国の田舎に行ったりして、

どうしようもなく覚えるしかない境地に立たされたからである。のちに台湾駐在になってから大いに役に立ったのである。

 

昼食は、この社員の7人と隣にある食堂で食べたのだが、まー食べれないことは

無いが、油がすごいのと、量が多いので完食はできない。しかし現地の中国の方は

平気で平らげてしまう。胃袋が違うんだろうなと感じる次第である。

一応デザートでフルーツが出てくる。一日目はバナナ、2日目はスイカだったが、

とても美味しかった。

昼休みは実質40分ぐらいで、その中で昼食時間も含まれるので、ゆっくりと

昼食をとれない雰囲気であった。

 

教育第2日目は、実技のみで、ある部品が取れなかった場合の機械加工の方法を

教えたが、難なくこちらの指示通り作業をさせたので失敗は無く無事に任務を

終えた。さすがに優秀なスタッフ達、こんなにスムーズに行くのは珍しく感じた。

 

第6章 寝るに寝れない日本の停電騒ぎ(台風の後の悲劇)

 

天津のホテルでは、NHKが見ることができる。初日の教育が終わりNHKの

ニュースを見ると、何と千葉県の至る所で台風の置き土産で停電しているとの

事、まさか木更津までとは、考えていなかったのだが?YAHOOで詳しく検索

してみると自分の居住している地域までが対象とされていた。

今帰っても停電んで生活できないのかと考えたりしてると、帰るのもおっくうに

なり、寝つきも悪くなったのである。今日も朝から、会社に連絡し確認をした

ところ停電は復旧しているとのこと、では日本に帰ることにしようかと、考えを

新たにしたのである。ことわざにもある”、行きはよいよい帰りは恐い”お願い

そのものである。

 

第7章 帰国の途

 

朝9時にホリディインホテルに出迎えが来て北京首都空港に向けて出発、途中警察のチェックがあったが、特に何もなくパスし、約2時間20分ぐらいで空港に到着。

チェックインが11時30分だったが、運よく10分前にチェックインカウンターに

着きすでにエコノミーは人だかり、私は、スターアライアンスゴールドメンバー

なので、専用カウンターに移動しなんと1番でチェックインできた。

 

座席は、当初予約したエコノミーシートではなくプレミアムエコノミーのシート

(少し座席が豪華)にアップグレードしてくれました。

しかし、この便にはプレミアムエコノミーのサービスは無く,ただの座席が良いだけ

残念なことに、座席は不具合が多く、とても疲れた。食事の時も、テーブルが変形

して、食事のお盆が傾き食べにくい。キャビンアテンダントにハイボールを注文

しても自分の航空会社のドリンクリストを把握しておらず、ありませんと言われた。すかさず、行の便はありましたよと言うと食事のワゴンの片隅にあるではないか、

キャビンアテンダントは苦笑いしながら、ハイボールを準備してくれたが、

あまり冷たくなかった。行の便では気を利かして氷をくれたが帰りの便では

くれない。食事が終わり、あっという間に2時間30分のフライトが終わった。

 

羽田空港到着後に頭によぎるのは、台風後の停電が復旧しているか心配だった。

羽田到着後は、バスに飛び乗り帰宅の途についた。いよいよ木更津駅だ、木更津駅

からタクシーに乗っても停電の事で頭が一杯だ。頼むぞ復旧していろよと心に

祈った。

クシーはいつものように、駅前の道路を一直線に進んでいった、あたりは明らかに

電気の明かりが見えている。いよいよ自分の住んでいるアパート付近にきた、

2階の住人の明かりが、まぶしく見えた。おー電気が復旧している。

一挙に安心感がわき疲れがどっと出た。

 

人間には、明かりの文化が非常に重要だと感じたのは、今回が初めてであった。

 

*長文にお付き合いありがとうございました。この出張記は実話であり、

作り話ではありません。完了

 

 

 

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