昨日の夕方より、雷雨があり季節がだんだんと変わりつつあります。雨季の前ぶれ

ですかね。夜も涼しく、快適に過ごせました。今朝の6時から部落のスピーカーから

音楽が流れ目覚めました。ここタイの田舎では、目覚まし時計はいりません。

何かしら行事があると、朝から部落の設置してあるスピーカーから音楽が流れ、

その後、お知らせが放送される。ある時は坊さんのお経から始まる。強制的に

起こされる事情ですね。二日酔いの時は、困ります。

さて本題ですが、現役時代は執筆活動もしておりまして、その中のプライベート編

を今回は紹介しましょう。実録の本当の話で作り話ではありません。今から約20年

前の出来事です。では、Let Go拍手

 

さすらいの中年サラリーマン男一人旅:バリ島にてリフレッシュ旅行

【旅行期間2004年10月25日から10月30日】

 

第1章バリに向けて出発

 

久しぶりのインドネシア(バリ島)の訪問である。仕事では5回程、ジャワ島、

スマトラ島、カリマンタン島に行った限りで、インドネシアは、ご無沙汰であった。出発前日から、突然腹の調子が悪かった。幼少時は何か行事がある前日には、お腹の

調子が悪くなったことを思い出す。緊張しているのかもしれない笑

 

今回の旅行は、会社からのリフレッシュ休暇+旅行代金(¥xxxxxx)秘密を頂いた。

海外出張から帰国して、直ぐに上司から次の週はリフレッシュ休暇(会社推奨の休暇)を取ってくださいと言われた。急な出来事だったが内心ガッツポーズ。

これは全て会社からのプレゼントであり休暇まで頂いた。感謝感激の休暇になった。

とにかく今回の目的は、心も身体もリフレッシュすると言う目的の休暇である。

最近すっかりご無沙汰になった、執筆の仕事が出来るチャンスにもなった。思えば、会社に入社して初めての海外出張がインドネシア、あれは21年前でした。月日が

経つのは早いもので、今はもう中年の領域です。

 

それでは、本題に入ろう拍手出発まで1週間を切っていたので、最初は断られた。

バリまでは、JTB主催の、えらんでバカンス バリ島(全工程朝食付き)

自由行動のツアーで参加した。いつもなら、航空券のみの手配でホテルは現地で探すパターンであったが。なんせ急なリフレッシュ休暇となったので、JTBに無理を言ってツアーに参加させて頂いた。お願い実は、この予約の時に台風が来ていてJTBの

皆が早めの閉店準備をしているところであった。

しかし、私は一人の客である、1時間も粘ってやっとこのツアーを押さえて貰った。おそらく、相手はいやな客だと思ったことだろう。と言うことで、見事にバリ旅行をゲットしたのである。OK

 

我社の仕事と一緒で、急な出来事ばかりである。さて、バリまでの道のりは、JALを利用した。JALですと、日本を夕方4時に出発するので、バリ到着は夜中になる。後はホテルにチェックインとなる。

 

成田空港出発当日のバリツアーは、若者ばかりと思っていたが意外にもおじちゃん、おばちゃんも参加していたので、安心した。JTBのツアー客は、10人程度で若いカップルが1組、おじちゃん(50歳過ぎ)カップルが4組で残りは、さすらい中年サラリーマン1人の私である。

バリのデンパサール空港から現地JTBの現地係員にピックアップされ車内では、いろいろなバリでの注意、案内等があり、ホテルの宿泊カードの説明の時、全てを

ローマ字で記入してくださいと、説明があったが、おじさんカップルはローマ字

書けねーよと、ブーイングが始まった。少し笑ってしまった。笑

 

既にホテル到着時は夜中の12時を過ぎたところだった。

先程ローマ字の件でブーイングした、おじさんカップルは必死にホテル宿泊カードを記入していた。

書いてあげても良いが、とにかくバリでの時間をエンジョイする為に、心を鬼にして

おじさんカップルを見捨て自分だけ先に部屋にチェックインした。

今日は特に、ハプニングもなく充実したナイストリップであった。

今回の宿泊先はプライベートビーチ(ヌサドゥビーチ)がある4星クラスのリゾートホテルである。

 

第2章 スラマト・パギで始まるバリ第1日目

    *スラマト・パギはインドネシア語でおはようございます

第一日目の朝、早く目が覚めたので7時に朝食を取った。レストラン案内の姉ちゃんに、スラマト・パギ(日本語で、おはようの意味)と、現地語で挨拶した。すると、発音が良かったのか次々とインドネシア語で話してくる。さすがに何を言っているのかチンプン、カンプン直ぐに日本人と言う人種を明かしてしまった。

お姉さんは、今度は流暢な日本語で接待してくれた。このお姉さんに聞くと、私の顔は中国系のインドネシア人に間違えたそうです。観光客の日本人はどことなく落ち着きのない感じで直ぐ見抜けるそうだ。

でも、1人で食べる朝食は、寂しい物がある。あー、、、、、、どこかに綺麗な

、、、、いないかな?ショボーン

 

さて、朝食後は、さっそく執筆活動第1章を書き終わるとクタ市内へとタクシーで出かけた。東南アジアのタクシーは話し好きである。私はそうでもないのだが笑とにかく英語で話したり、面倒になるとインドネシア語で話しかけてくる運転手、私の頭はもうパニック。そう思いながら目的地のデパートに近づいた時、タクシーの運転手が

ショッピングが終わるまで待っていようかと聞いてきた(もちろんインドネシア語)私は丁重に、サヤ ティダ マウ(私は、必要ないと言う意味だと思う)と返事をした。とっさに出たインドネシア語だ。出張先で覚えたのが、ここで実践できた。拍手

一応通じたみたいでうれしかった。さて、クタ市内のデパートでまずは土産を先に

買って残りの滞在期間を有効に使おうと思ったのである。

 

このデパートは、インドネシアでは有名なマタハリ デパートと言う。館内では、

宇多田ヒカルの歌が流れていたが、あまり日本人はいないが、くたびれた西洋人、

レゲー風のアメリカ系の人や、メルシーボクのフランス人が大勢いた。

 

その後、クタの町を散策し、タクシーを拾ってホテルに帰った。特にすることも無いのだが、バリに来て、まだビーチを見ていない。

さっそくビーチに向かっが????引潮で水が無いはるか彼方に海水らしきものが見えた。辺りを見回すと、西洋人、アメリカ、その他、日本人はまったくいない。それも、ビーチのお客さんはドラム缶級の体型のおばちゃん、おじちゃんだらけであった

しばし、ビーチを散歩していると、来た来た変な日本語を使うお兄ちゃんが近寄ってきた。決まり文句で、コンニチハ、元気はてなマークどこか面白い所行く。結構、日本語慣れをしている。わたしは、暇なので約30分ぐらい適当にお話をしてあげて、さよならをした。

 

第3章 ビーチでしつこい現地のお兄ちゃん、そしてバリも雨だった

 

さて2日目の朝、目覚めもよくいきなり6時30分に起きてしまった。会社に行く時の癖が残っている。のだろう。7時に朝食を取りに行った。なんと日本人が70%ぐらいいた。おばちゃんたちは、やっぱり強い恥も外聞も無い、ひたすら皿にこぼれそうなぐらい大盛りにしてビッフェスタイルを味わっている。

もう恥らうことは無いのか、昔を思い出してほしい。昔の関西のテレビのコマーシャルではないが、皆、同じことやってんねん、どこがわるいねん、ええやろ・・・・・の世界にはまっています。

 

朝食後、9時ぐらいにビーチに出かけたが、1時間もしない内に昨日の日本語の達者なバリの兄ちゃんがやってきた。せっかく読書にふけっていたのに、邪魔が入った。飛んでもねーと思いつつ、話だけは聞いて面白くないので、自分からビーチを去った。今回は、リラックスしに来たのに、邪魔ばかりするビーチの兄ちゃん、今度はただでは許さないぞ。それからは、昼寝をしようと、思い部屋に帰ったが、上の階が改装中でうるさくて眠れない。しょうがないので、パソコンを今回持参したので、ゲームをしたり、音楽鑑賞にふけっていた。この頃、東南アジア特有のスコールが来て午後から夜まで断続的にバリは今日も雨だった。

 

夜になり、どうも寂しくなりホテルのオープンバーで現地の歌手によるミュージックを聞きながらビールを一人で飲んでいた。欧米人や西洋人たちは、私の横を通っていく人たちは、必ずHIとかGOOD EVENINGとか声をかけていくが、日本人はシャイなのか知らない人には誰も声をかけてくれない。約1時間ほど、いただろうか全て聞こえてくるミュージックは、タイの北部(チェンマイ)であの世を去ったテレサ・テン、おすたか山に眠っている坂本の九チャンの”上をむいて歩こう”約25年前 東南アジアで一世風靡した、谷村新司の”昴”そして同じ時期”に早く人間になりたい”のキャッチフレーズのテレビ漫画の妖怪人間ベム・ベラのベラと呼ばれていた五輪まゆみの”恋人よ”最後の頃には、内山田洋とクールフャイブの”バリ島は今日も雨だった”違いました”長崎は今日も雨だった”でした。以上の様な曲は、昔海外出張の出張先などで、大先輩方が歌っていた曲だと思います。私も、上手では有りませんが”昴”とか”恋人よ”は東南アジアの現地で歌っていました。この曲は現地で受けがよく、東南アジアのヒット曲として現地の人に親しまれている。その後は、特に珍しいミュージックも聞こえてこなかったので、寝ることにした。

 

第4章 ショッピングモールに行ってみた

 

ビーチでは、邪魔が入るので第3日目は、ショッピングにクタ(バリのクタビーチの繁華街)に出かけた。

ホテルからクタまでタクシーで約20分ぐらいで町には、観光客が大勢繰り出していた。もちろん日本人も多いしかし、どの店に行っても私を日本人に見てくれない。他の日本人は、日本語で対応して私には最初はインドネシア語で話しかけてくる。店員に聞くと、日本人には見れないそうだ。ジャカルタから観光に来ている中国系インドネシア人に見えるそうである。都合が良い時は、インドネシア人や日本人に自分を変えられるので便利であるが、そこまでインドネシア語はマスターしていない。

 

昼時になって、何を食べるか迷っていたが、せっかくインドネシアに来たのだから

インドネシア料理でもと思い、ショッピングモールの二階に行った。アラマー全てがインドネシア語だ!しかし写真付でメニューが載っているし、昔インドネシアに出張して食べ物には散々苦労したのでメニューのインドネシアがよみがえって来たのだ。

*アラマーは日本語であるがインドネシアでも使われている。オー神様という意味である

ナシゴーレンのシーフード入り(チャーハンのシーフードタイプ)を注文したが、ティダ・アダ(有りません)の返事が来た。しょうがない、イカン・バカール(魚の塩焼き)を注文したが、これもないと言われた。結局は店員の薦める麺類を注文したら、来たものは焼きそばだった。サイドオーダーにサテ(焼き鳥)も注文したが両方とも、

あまりおいしくはなかった。日本人は誰もここにはいなかった。ローカルの人専用の

フードコートだったのである。クタの町では、ショップのお姉さん達をからかって

時間をつぶし、夕暮れになったので、テロの心配や拉致されても困るので宿泊先のヌサデゥアに帰ったのである。

過去に、2002年にクタ市内でテロが繁華街の中心で勃発した。日本人は2人死亡している。残りはオーストラリア人などである。命が惜しいので早めにホテルに帰った。

 

第5章 最終日

 

帰国の日、そうです最終日が訪れました。現地出発は夜11だったので、前日に仲良くなったタクシーの運転手とコンタクトして5時間約5000円でウブド(バリの避暑地、工芸の地)の観光に出かけた。一人では寂しいので現地で友達になった人を誘ってウブド観光へと出かけたのである。

 

朝9時に予約通りにタクシーが来た。運転手が、すがすがしい顔をしているので、

どうしたの?と問い掛けると、実は今日は友達の結婚式に呼ばれているんだと答えた。そこで、私はピンときたそうか今日の稼ぎは、友達の結婚式の祝儀に使うのだなと思ったのである。日本はもう冬に入ろうとしているのに、ここバリは一年中夏、夏、夏、ココ夏、アイ、アイ、アイランドです。古い歌でした。

 

さて、車は途中サヌールビーチで友人を拾いウブドへと向かった。周りの景色は、

田園風景やアジア独特のオートバイの群れが見られた。しばし、ドライブをすると

ウブドに到着。ヌサドァビーチ(ホテル)から、約1時間10分ぐらいのドライブである。

 

まず、初めにアトリエでバリ独特の絵を書いているところを、見て冷やかした。ここは、入場料無料そして冷やかし無料。この時も最初から日本人には見られなかった。

インドネシア語で問い掛けられたが、私はインドネシア語が流暢で無いので、直にばれたのである。今日は4時間だけのタクシー貸切で有った。既に移動時間を含むと

2時間を過ぎている。あせりながら、次の観光地の美術館へと移動した。ここでは

入場料を支払った。

中に入ると真っ暗、何も見えない5分ぐらいしてからやっと照明がついたのである。そこに見えた物は、ほぼ、90%は女性のモデルの・・・・絵ばかりだった。

そのうち、停電又も暗闇の中、全てを見ないまま美術館の見学は終わってしまったのである。その後、行きたい所も見当がつかないので、タクシーの運転手にお任せコースで、モンキーフォレスト(サルの公園)へと、向かった。猿の公園は、日本と同じく猿がバナナを食べていた。思わず一つ恵んでくれよと言いたかったが、この後昼食で、ピサン・ゴーレン(インドネシアのデザート/バナナのてんぷら)を、食べるからいいやと猿に目で合図をした。猿は、とても怖い顔をしていた。直横の注意の看板には、英語でしっかりと、猿と目を合わせないように去ってくださいと、書いていたのである。私は、慌ててその場を去ったのは、いうまでも無い。

 

そうしているうちに、昼食の時間となり、食べる物は既に決まっていた。タクシーと友人を交えての昼食は、思い出残る有名なレストランで談話を交えながら過ごした。オーダーした物は、ナシ・ゴーレン(チャーハン)とデザートにピサンゴーレン(バナナのてんぷら)である。飲み物は、ビンタン・ビール(日本語だと星マークがついているサッポロビールの図柄に似ている)を注文した。ビンタンとは、日本語で星と言う意味だ。とにかく、仕事を忘れて昼間飲むビールはうまい!

 

昼食後は、時間も一刻と迫ってきたので、バリの思い出をハートに残しホテルへと向かった。ホテル到着した頃は、最初に交渉した時間を1時間オーバーしたが、タクシーの運転手は、別に追加料金を支払えとも、一言も言わなかった。とてもラッキーなタクシーに出会ったのである。

 

普通日本人は、海外に行くとぼられるのが、多いが最近は、特にどこの国に言っても、その国に馴染んでしまうので、ぼられる事は少なくなった。しかし、通常の観光できた日本人はこの限りでは無い。

 

まとまりの無い、さすらいの中年サラリーマン男一人旅(バリ編)は、幕を閉じたのである。完了

 

ペンネーム:孫悟空

 

 

 

 

 

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