息子は先に葬祭場に着き、控え室に入りました。


家族と妹夫婦で、

息子に会わせてもらえるのを待つ間に

主人から初めて息子がどこでどうやって

亡くなったのか聞きました。


残されていた携帯の内容は初期化されていましたが誰が見てもわかるように、メモだけが貼り付けてありました。遺書でした。


1つは、警察の方が見て事件性がないことが

わかるように。


もう1つは、家族にあてたメッセージでした。


最後まで息子らしい周りを気遣う内容。

息子の優しさに涙が止まらなかった。


その道を選ぶしかなかったんだね。

お母さんも〇〇が大好きだよ。



家族だけで見送ることも考えましたが、、

〇〇は何も悪くない。

精一杯生きて、最後は自分で決断した

だけのこと。


家族全員が、やっぱりお世話になった人たち

みんなで見送ってあけだいねと、式場看板も

出しました。


(考え方も色々ですが、葬儀に関しては

それぞれ事情もあるかと思いますので

不快に思われた方がみえたらごめんなさい🙇)



火葬場の関係で、息子とは三日三晩一緒に

過ごせました。


息子は綺麗にお化粧してもらって、顔色も良くなり穏やかな顔で、寝ているようでした。


「じゃじゃ〜ん!ドッキリでしたー!」と

起きてほしかったよ。


次男の好きだった物を枕元に並べ

昼間は好きだった音楽を流し沢山話しかけ

ました。



お通夜当日


ひまわりで遺影の周りが飾られていて

元気で明るい次男を送り出すのにぴったりの

祭壇でした。


息子の遺影を見た瞬間 涙が溢れ、担当者の

方が「お母さん、泣いてもいいんですよ」と

背中をさすってもらえた瞬間、泣き崩れました。

あの時の手の温もり、忘れません。


お通夜が終わり、私は気分がハイになり

悲しいという気持ちが全くなくなり

自分が自分じゃない時間がしばらく続きました。


自分で、おかしい、頭が変になった、、

やばい、、壊れた、と思いました。


〇〇が亡くなったことを認めたくなくて

現実逃避していたからだね、と言われました。

逃げたいぐらいショックな出来事に

脳がパニックを起こしたのかもしれません。




告別式当日


朝からふわふわした眩暈がしていた。

今日1日持ち堪えれるか、.

ショックで気を失わないか、、

と不安で仕方なかったけど、

〇〇をちゃんと見送らないと!

しっかりするんだ!と何度も自分に

言い聞かせました。


お通夜と告別式、幼稚園に上がる前からの

親友もみんな参列してくれました。


可愛がってくれてた親族、私の親友

たまたま前を通りかかって知った人たちにも

息子の顔を見てもらえて、大勢の人に温かく

見送って頂けて感謝しています。


出棺前のお別れの時間、〇〇が大好きだった

bag number の『地平線』を選びました。


あの時の息子と重なり胸が熱くなりました。

友達みんな泣いてくれてたよ。


友達みんなで火葬場も行ってくれて

最後まで見送ってくれたね。

〇〇みんなに愛されていたんだね。

いい友達に巡り会えて幸せだったね。


いつも〇〇に頼ってばかりだったけど

お母さん頑張ったよ。


お母さんのところに生まれてきてくれて

ありがとう。

〇〇のお母さんで幸せだったよ(これからも)

また会おうね。


大好きだよ。