ああ夢だったならどんなに良かっただろう。
ああ現実であったならどんなに良かっただろう。
そんなことを繰り返しながら今を過ごす私の心に沁みる作品があります。
今日は、そんな短編から引用して載せておきます。
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私は、この世の中に生きている。しかし、それは、私のほんの一部分でしか無いのだ。同様に、 君も、またあのひとも、その大部分を、他のひとには全然わからぬところで生きているに違いないのだ。
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私だけの場合を、例にとって言うならば、私は、この社会と、全く切りはなされた別の世界で生きている数時間を持っている。それは、私の眠っている間の数時間である。私はこの地球の、どこにも絶対に無い美しい風景を、たしかにこの眼で見て、しかもなお忘れずに記憶している。
私は私のこの肉体を以て、その風景の中に遊んだ。記憶は、それは、現実であろうと、また眠りのうちの夢であろうと、その鮮やかさに変りが無いならば、私にとって、同じような現実ではなかろうか。
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「さようなら。」
と現実の世界で別れる。
夢でまた逢う。
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「別れる、と言って。」
「別れて、また逢うの?」
「あの世で。」
とそのひとは言ったが私は、ああこれは現実なのだ、現実の世界で別れても、また、このひととはあの睡眠の夢の世界で逢うことが出来るのだから、なんでも無い、と頗るゆったりした気分でいた。
………
「綺麗な花だなあ。」
と若い編輯者はその写真の下の机に飾られてある一束の花を見て、そう言った。
「なんて花でしょう。」
と彼にたずねられて、私はすらすらと答えた。
「Phosphorescence」………![]()
太宰治著『フォスフォレッスセンス』より
※新潮文庫では「フォスフォレッセンス」