こんにちは、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。

 

政治ネタから離れられませんなあ。

 

以前も紹介しましたが、国際政治評論家の藤井厳喜氏がオーウェルの小説1984年と、2020年アメリカ大統領選挙の様子を比べて解説している有料(100円)の動画があります。以下は、この動画について私が書いた感想文を転載したものです。

 

 

 

私は、オーウェルの小説「1984年」と2020年のアメリカ大統領選挙の実情とを比較して論じる、という藤井先生のこの試みを非常に高く評価します。

今回の大統領選挙で、トランプ前大統領が選挙不正を訴え始めるまで、ニュースもほとんど見ないし、米国の政治状況についてもほとんど知らず、ほぼ無関心でした。

トランプ大統領のツイートを最初は、「大人がごねてる」と思って面白がっていたのですが、ずっと同じことを繰り返しているので、もしやこの人は本気なのでは?と思ったのが興味を持ったきっかけです。それからニュースを追い始め、証拠とされていた宣誓供述書を読んだり公聴会の証言を聞き、「根拠もないまま大人がごねてる」と言えるような状況ではない、と判断しました。

その中で藤井先生が1984年を薦めているのを知り、かねてからよく噂を聞く小説でしたが、読んだことがなかったので、自分でも読み始めました。

そしてたしかに、小説の中の IngSoc イギリス社会党による、左翼の一党独裁体制下で、真理省によって歴史や事実が塗り替えられて歪曲されていくさまと、米国の主流メディアによる徹底した、アンチ・トランプの偏向報道、巨大SNS企業による検閲やアカウント削除、という現実の出来事とが、藤井先生のおっしゃるとおり、ぴたりと符合していることに寒気を覚えました。

共産党一党独裁による中国で行われてきた言論統制、情報改竄についてはある程度聞き知っていましたが、あくまで中国の特殊な国内事情であり、関係ないもの、と思っていました。ところが、今に始まったことではなく、いつの間にか、アメリカでも、信じがたいほどの民主党よりのプロパガンダ・ニュース、戦前の大本営発表のリベラル・左翼バージョンというべきものが横行しており、それが今回の選挙を機会に先鋭化していることが、何が報じられ、何が報じられないのか、ということをひとつひとつ見ていくことで明らかになりました。

個人的には大規模選挙不正はあった、と考えていますが、司法による本格的な調査が行われなかったため、それを100%断ずることはできません。濃厚な「疑惑」が払拭できない、というのが現状でしょう。証拠などをいくら追っていっても、真相は闇の中、という側面があります。

ですが、主流メディアの偏向報道や、SNSの検閲は、具体的な事実として確かめることができるものです。

恐ろしいのは大多数の人は、目の前で繰り広げられる偏向報道や検閲に気づかないか、その危険性に気づいていないことです。トランプ大統領のアカウントが停止されたときに、それを嬉々として語っている人たちがたくさんいたと想像しますが、彼らは自分たちは大丈夫だと信じているようです。

アメリカのテレビにも連邦通信委員会公正原則 FCC fairness doctrine というルールがかつてはあり、honest, equitable, and balanced 誠実で、公正で、中立的、というポリシーがあったそうですが、1987年に言論の自由を保証する憲法修正第1条に違反するということでFCCによって廃止が決められ、議会がこれを阻止しfairness doctrineを法制度化しようとしたが、レーガン大統領の拒否権によってこれが封じられたそうです。2011年には連邦官報から、このポリシーに基づいたルールが取り除かれた。

つまり、言論の自由を保証するためという名目でこの原則が撤廃されて以来、アメリカの主流メディアが、不誠実で、不公正で、偏った立場のニュースを報じても、全然問題ない、という状況にあるようです。まったく常識とかけ離れていますが。

そしてまた通信品位法230条によって、Facebook、Twitter、YouTubeの検閲が許されてしまっています。

民主党・リベラルの掲げる先進的なスローガンは素晴らしい、と人々が言って油断しているうちに、これに対する保守系の言論が封鎖されはじめました。言論の自由を保証するため、という名目で許可されたプロパガンダ放送によって、「民主党よりの言論」の自由が保証され、保守系の言論が駆逐されようとしているわけです。中国で行われていることと非常に似ています。この傾向が強まっていけば、行き着く先はどういう世界になるか、ということを小説1984年が生々しく描いてくれています。

検閲を実行しているTwitterやFacebookの社内上層部(といっても、若者といってよいような人たち)の会議の様子が暴露されていますが、彼らの会話を聞いていると、「自分たちは正義を実行しているのだ」という使命感・正義感が強くにじみ出ています。

正義、というのは常に、特定の立場においてのみ成り立つものです。たとえば、戦争は、常に正義と正義の戦いです(両陣営が自分たちを正義だと思っている)。彼らが立っているその立場が、特定の政党を支援しない、公正な立場と言えるのかどうか、この部分を健全に批判する仕組みがなければ、今の仕組みのままでは暴走を止めるのは難しいと思います。

小冊子が準備されているのは歓迎します。有料の動画は人に配るのも難しいですが、小冊子のほうは関心を示した人には配りやすいので。

 

 

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