こんにちは、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。

 

 一般社団法人 JCU(the Japanese Conservative Union)のあえば浩明議長による状況のまとめです。

 

 

上下合同議会がバイデン次期大統領を承認した後も、トランプ支持者の間では、トランプ氏による軍事オプション使用や、逮捕劇開始など、さまざまなデマが飛び交っています。

 

JCUでは、ワシントンのACUとの人脈があり、情報を確認することができるので、他よりも信憑性が高いと思います。

 

上の動画の最後で触れられている、トランプ大統領によるライブの演説を観ましたが、ごく軽く議事堂事件や、メディアによる封殺にも触れてはいましたが、何らトランプ支持者にとって、逆転の希望を与えるような内容はなく(予想通りですが)、メキシコ国境に建設中の壁、トランプ氏が2016年の選挙で公約していた壁が、450マイル目に達した、ということを宣伝し、建設に従事した人たちを称えるという儀式でした。せっかく作ったものを次期政権が壊すなんてことはないよ、って言ってましたが、普通に政権交代を念頭に置いた発言だと思いました。

 

 

それにしても、この動画もまさにそうなのですが、トランプ支持の動画のコメント欄には、私は全然共鳴できませんね。端的には

 

  • 絶対に勝つムキームキームキー
 
みたいなやつです。
 
繰り返し述べているように、こういうことを信じていると体のエネルギー分布に強烈な偏りを生じ、それが筋肉の強弱の異常にまで表れます。ですので、こういう状態はできるだけ避けたい。
 
 
もう一度、モーフィアスに語ってもらいましょう。
 

 

You take the blue pill and the story ends. You wake in your bed and believe whatever you want to believe.
You take the red pill and you stay in Wonderland and I show you how deep the rabbit-hole goes.
Morpheus
 
青い薬を飲めば、物語は終わる。自分のベッドで目が覚めて、何であれ自分の信じたいものを信じ続けるのだ。
赤い薬を飲めば、不思議の国に居続けることができる。ウサギの穴がどれだけ深く続くのかを見せてやろう。
モーフィアス

 

トランプ支持だろうと、バイデン支持だろうと、あるいは情報源がJCUだろうと、CNNだろうと、伝えられたことを鵜呑みにしている状態は、

 

believe whatever you want to believe.

何であれ自分の信じたいものを信じ続ける

 

という意味では、向きが反対なだけで、性質は一緒だと思うのです。

 

 

実は、このモーフィアスのセリフについて考えているうちに、またまた大きな気付きがありました。どんなすごいねん、この映画。

 

前にも書きましたが、自分で思いつく限りにおいて、私は赤い丸薬と青い丸薬を選べ、と言われたら、いつでも赤い方を選んできました。テーマが変わっても、そこは同じように思います。

 

 

ということは、ですよ。

 

政治的な問題で、青い丸薬を選んだ人は、もしかして、テーマに限らず、いつも青い丸薬を選ぶということでしょうか?

 

 

何であれ自分の信じたいものを信じ続けるのか、

真実を追求するのか

 

という選択であると、整理するなら、これをサイエンスの現場の重要な局面に当てはめることができます。

 

 

 

何かしら、研究プロジェクトでデータを取っているとします。

 

自分たちの予想に合わないような結果、不都合な結果、失敗を意味するような結果、あるいは白黒はっきりしないような結果、解釈に困るような結果、に遭遇しました。

 

このようなとき、あなたはどう反応すべきでしょうか?

 

  1. あなたが信じていること(予想していること)に都合の良いように、実験や解析のルールや基準を緩めて、データを守るのがよいでしょうか?
  2. あなたが信じていること(予想していること)に都合が悪いように、実験や解析のルールや基準をむしろ厳しくして、データをいじめるのがよいでしょうか?

 

どちらの態度をとるのがよいのか、よーーーく考えてください。

 

 

 

データを守れば、あなたは実験のやり直しをしなくてよいかもしれません。自分の信じている仮説を曲げる必要がなくなります。

 

データをいじめれば、あなたは実験のやり直しをしなくてはいけないかもしれません。また、あなたは自分の考えが間違っていることを認めなければいけないかもしれません。

 

 

結果がはっきりしていて、それがあなたの予想通りであれば、あまり迷うことはありません。おめでとう!でおしまい。

 

はっきりしないような結果や、都合の悪い結果が出た場合こそ、信憑性が問われます。そのとき、どっちを選べばよいのでしょう?

 

 

 

みなさん、答えは出ましたか?行きますよ。

 

学生時代を含めたら20年以上のキャリアがありますが、私は反射的にデータをいじめることを考えます。

 

ちょっといじめて(基準を厳しくして)消えてしまうようであれば、それは証拠として弱いということです。全力でボコボコにいじめても、データが耐え残った場合は、それは証拠が強いということになります。

 

自らが、世界最強の敵として、率先して自分のデータをいじめたとき、データがその猛攻に耐えたのならば、論文として発表するときに、査読者(論文の内容を審査する専門分野の匿名の研究者)から受けるような批判や攻撃はたいてい凌ぐことができます。

 

最悪なのは、甘い基準でデータを集めて論文で提示して、査読者からその甘さを指摘され、それによって論文が根底から崩壊するような事態です。

 

このデータをいじめる発想が、赤い丸薬だと思うのです。つまり色分けするとこう。

 

  1. あなたが信じていること(予想していること)に都合の良いように、実験や解析のルールや基準を緩めて、データを守る
  2. あなたが信じていること(予想していること)に都合が悪いように、実験や解析のルールや基準をむしろ厳しくして、データをいじめる

 

それでは、青い丸薬はどうか、というと、残念ながら、私の学生はどうやら、こういう局面で常に青い丸薬を選んでいるのでは、と思えてきてしまいました。

 

私が反射的に、自分たちのデータに対してより批判的に解釈しようとし、より厳しい条件を加えてデータをいじめようとするとき、この同じ瞬間に、彼は基準を緩めようとし、データを守って安住しようとします。英語では defensive と言いますが、守ろうとします。

 

そして、彼のこの基準からすると、私がデータをいじめようとするのは非常に許しがたい行為に感じられるのだそうです。敵対的に見えるからでしょうね。データに敵対しているのであって、別に彼に敵対しているのではないのですが。どうもまだこの話が理解できていないのではと疑っています。

 

 

別の例では、あるポスドク(博士号をもつ研究者)がいて、この人は私の学生ではなく、友人関係にある研究者の主催する別の研究室のポスドクですが、私の専門分野のことで私が彼を手伝う約束になっていました。

 

この人の持ってきたデータをひと目見た瞬間に、これはまったく駄目だとわかり、諄々(じゅんじゅん)と、なぜ駄目か、このデータはちゃんとしたシグナルではなくて、ゴミだよ、ということを時間をかけて分からせようと説明しました。

 

この分野では私は20年以上のキャリアがあり、この人は初心者です。指導を請われて問題を指摘しているのに、この人は、瞬時に defensive (自己弁護的)になり、屁理屈を捏ねて、「いや、これは本物だ」と言って譲りませんでした。その後で、メールでも同じことを詳しく説明しましたが、それきり返事無し。

 

その二週間後くらいに、この人は、私が駄目だといったデータを学会・シンポジウムでそのまま使用してしまったのですが、会場にいた人で、専門知識のある人は皆、これを見た瞬間にこれはまったく駄目だ、と分かったと、後で聞きました。ちなみにこのとき、この件ではなく、別の件で、この人の発表は聴衆の一人の教授から辛辣な批判を受けたのですが、これに対しても、この人は自己弁護的に反応し、相手の批判を受け入れずに頑固にデータを守ろうとして反論して、かえって傷口を広げていました。つまり、このデータを守ろうとする反射のようなものは、テーマが変わってもいつも同じようなのです。

 

そして一年以上経ってから、また手伝って欲しいと言ってきました。前回、こちらが指摘した問題に答えていなかったので、その後は誰か他の人に相談するなりして解決したのかと思ったら、まったくそのまま手つかずだったことが判明しました。

 

もう契約の期限まで二週間しか時間がない、というので、もちろんデータを取り直すことは絶望的でした。このときも、前回同様、いかに駄目かということを説明し、メールでも同じ話を繰り返し、ようやく本人も駄目だと気づいたようですが、もちろん手遅れ。相手の研究室主催者に経緯を説明して、これだけ説明して、このポスドクは話を聞かなかったし、途中でやり取りを放棄したから、彼の失敗だと伝えました。

 

青い丸薬を選ぶと、こういうことになりかねない、という具体例です。

 

私も若い時は青い丸薬を選んでいたのですが、そこは恩師に鍛えられて、赤い丸薬が正しい、というのが体に染み付いたのでした。今回のことが浮上してきて、教育者として、自分は恩師を越えられていなかった、ということがはっきりました。

 

 

何であれ自分の信じたいものを信じ続けるのか、

真実を追求するのか

 

この違いはやはり大事だ、というのが伝わったでしょうか。いや、これはめちゃくちゃ深いテーマでして、一冊の本になりそうな気がします。本としてボリュームを足そうとしたら、もっと事例を集める必要はありそうですが。

 

元々、このマトリックスという映画では、自我(エゴ)の作り出す仮想現実=マトリックスから解脱し、真実の世界に生きるという悟りのプロセスを、SFを舞台にメタファーとして映画化している、と私は解釈しています。

 

ですが、サイエンスの場面においての

  1. あなたが信じていること(予想していること)に都合の良いように、実験や解析のルールや基準を緩めて、データを守る

という方針が、スピリチュアルでいうところの、エゴの自己防衛本能と密接に関わっている、ということは指摘しておきたいですね。だから、この問題は根が非常に深いのです。

 

 

サイエンスの分野では、実験や解析の基準を厳しくするというのが、赤い丸薬に当たると思います。それによって、自らの考えが否定される可能性があるからです。これこそがサイエンスがサイエンスである所以(ゆえん)であり、自分の信じたいことを信じて書いてよいのであれば、それは文系です。

 

 

ところが、テーマが政治ニュースになると、科学の実験のようにして判定を下す仕掛けは残念ながらありません。p値 < 0.05 なので統計的に有意です、なんていうことはほとんど使えません。

 

では赤い丸薬に当たるのは何か、というと、これは少し前の動画で及川幸久さんが奇しくもおっしゃっていましたが、一次情報に当たること、ではないかと思います。まとめサイトや、まとめ動画で終わり、ではなく、じゃあ本当にそう書いてあるか、オリジナルのニュース記事を見てみる。政府発表を見てみる。宣誓供述書を見てみる。

 

私は主流メディアが、トランプがごねてますよ、と伝えているのをまず知り、そこからホワイトハウスやトランプのTweetを調べ、宣誓供述書や、訴状を見て、証言の動画を見て、これらの一次情報から判断しています。

 

それでもその自分の判断が間違っている可能性があります。膨大な数ですが、すべての宣誓供述書や証言がでっち上げでした、とか、トランプ陣営の弁護士は全員詐欺師でした、とか、そういう可能性です。これは可能性としてはかなり低いと見ていますが、理屈としてはあり得ます。そこがリスクです。

 

そういうわけで選挙不正の問題の真偽の判定は本当は難しいのです。だからこそFBIにちゃんと捜査してほしかったのですが。

 

 

ですが、偏向報道の存在だけは、どのメディアが何を報じて、何を報じていないか、ですから、これはサイエンスのデータのように、はっきりと見ることができます。

 

ですので、偏向報道に気づくことが第一段階だと申し上げています。

 

 

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