こんにちは、絶學無憂です。

 

我ながらうまくまとまったような気がしたんですが、前回の記事にご感想を頂きまして。

 

こちらの図をもとにお話をしたのですが、「スピリチュアル興味あり」の部分を、たとえば「キリスト教を信仰する」に置き換えても同じ話が成立するんじゃないですかと。

 

 

実は、私も自分で記事を書いた後にまったく同じ事を考えていたんですよ。

 

キリスト教の信者で、波動の高い人ももちろんおられるわけですが、一方では、洗礼を受けていても、行いや在り方が全然伴わない方もまたおられるわけです。

 

たとえば、仏教に置き換えても同じことが言えそうです。

 

それぞれ本来はありがたい教えであるはずなんですが、それを頼りにどんどん波動の高い在り方を身に着けていく人もいれば、そうならない人もまたいる。

 

当たり前といえば当たり前なんですが、そのように両面を見ていくと、人それぞれに正解というのは違うんだな、というようにも言えますし、この教え、この考え方さえ手に入れればOK、という安直な考え方は成立しない、ということも言えそうです。

 

波動を上げる、在り方を向上させる、というのは、知識やテクニックをただ知っているだけでは無理ですね。

 

パソコンで例えれば、在り方というのは何をする時にも影響するので OS みたいなものです。パソコンのハードディスクに数値データをどんどん書き込んでもそれで OS が向上するというものではありません。サードパーティ製のアプリをインストールして動かしても、OS はそのままです。

 

OS そのもののアップデート、みたいなことが必要ですね。これはやはり特別で、そういう時は他の作業ができませんから、これは「集中」が必要だ=意識して取り組むことが大切、ということのメタファーになっているとも言えるかもしれません。

 

田仲真治さんのブレイン・アップデートが意味しているのもまさにこのメタファーなんですが、あらためて、上手い喩えですよね。

 

具体的にいうと、この OS のアップデートというのは、不要な観念の手放し、に代表されると思います。

 

一神教の場合、他の宗教を異端として退けようという傾向が強いので、ちょっと難しい問題が出てきますけれども、波動が低いほど分離的で、波動が高いほど統合的になっていくので、個人が自らの波動を上げることに努力していれば、長い目で見れば、そういう排他性というようなものは解消されていくのではないか、という気がします。これは楽観的すぎるでしょうか。

 

そうすると『聖おにいさん』みたいな世界が来る?来るのか〜?

 


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