こんにちは、絶學無憂です。
津原明彦さんの動画にまた、こちらのテーマとドンピシャのお話、つまりいかにして「まんなかを生きる」か、というものがありましたので、ご紹介するとともに、あーだこーだと書いてみようと思います。
裁かない、ジャッジしないについて
要は、そのまま見る、ということ。ですね。
塞翁(さいおう)が馬
これは中国に伝わる故事です。昔々、私が失恋して腐っていたら先輩が教えてくれました。
国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのだ。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。
それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという[11] 。
このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、人間万事塞翁が馬などと使われる。
ジャッジせずに状況を伝える
淡々と事実を語れば、それでよいんですね。
「これが正しいのじゃ!!!」と凄む必要はないし、
「これは最悪じゃーーー」と決めつける必要もないし、
「これは最高じゃ!!!」と有頂天になる必要もない。
でも、今そこにあるものに感謝することであったかい気持ちになる、っていうのは特にジャッジしてないんで、統合的。
神社の願掛け
「膝を治して下さい」と神社でお願いするのは、膝が悪くて「この野郎」ってお賽銭を投げつけているのに等しい。
膝が悪くても、今あるものに感謝する気持ちを神様に伝えれば良い。
これは、引き寄せの法則でも説明できますね。ついつい、やってしまいがちですが、前者の方は、欠乏に焦点が当たっているので、欠乏を引き寄せている。しかし、後者は、充足に焦点が当たっているので、充足を引き寄せている。
松下幸之助さんの中道
これはもう、まんなかを生きる、っていうことそのままですね。そうか、こんな有名な先駆者がいたとは露知らず。
小林正観さんのうたしやき
うれしい話
たのしい話
しあわせな話
役に立つ話
興味ある話
コップの水
50%しか水がないと見るか、50%もあると見るか。
前者は欠乏に焦点を当てており、後者は存在に焦点を当てていますね。
中立なのはただ、50%だな、ってそのまま見ることだと思います。
今回は、裁かないというお題なので、サバでボケてしめましょう。