こんにちは、絶學無憂です。

 

津原明彦さんの動画にまた、こちらのテーマとドンピシャのお話、つまりいかにして「まんなかを生きる」か、というものがありましたので、ご紹介するとともに、あーだこーだと書いてみようと思います。

 

裁かない、ジャッジしないについて

 

 

要は、そのまま見る、ということ。ですね。

 

塞翁(さいおう)が馬

これは中国に伝わる故事です。昔々、私が失恋して腐っていたら先輩が教えてくれました。

 

国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのだ。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。

それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという[11] 。

このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、人間万事塞翁が馬などと使われる。

 

Wikipediaより

 

ジャッジせずに状況を伝える

淡々と事実を語れば、それでよいんですね。

 

「これが正しいのじゃ!!!ムキー」と凄む必要はないし、

 

「これは最悪じゃーーーゲロー」と決めつける必要もないし、

 

「これは最高じゃ!!!ニヒヒ」と有頂天になる必要もない。

 

でも、今そこにあるものに感謝することであったかい気持ちになる照れ、っていうのは特にジャッジしてないんで、統合的。

 

 

神社の願掛け

「膝を治して下さい」と神社でお願いするのは、膝が悪くて「この野郎」ってお賽銭を投げつけているのに等しい。

 

膝が悪くても、今あるものに感謝する気持ちを神様に伝えれば良い。

 

これは、引き寄せの法則でも説明できますね。ついつい、やってしまいがちですが、前者の方は、欠乏に焦点が当たっているので、欠乏を引き寄せている。しかし、後者は、充足に焦点が当たっているので、充足を引き寄せている。

 

松下幸之助さんの中道

これはもう、まんなかを生きる、っていうことそのままですね。そうか、こんな有名な先駆者がいたとは露知らず。

 

小林正観さんのうたしやき

 

うれしい話

たのしい話

しあわせな話

役に立つ話

興味ある話

 

コップの水

50%しか水がないと見るか、50%もあると見るか。

 

前者は欠乏に焦点を当てており、後者は存在に焦点を当てていますね。

 

中立なのはただ、50%だな、ってそのまま見ることだと思います。

 

 

今回は、裁かないというお題なので、サバでボケてしめましょう。